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のき山放送局で紹介されました!





丸地典利です。 
47歳の夏に直腸にガンが見つかり切除手術を経験しました。
この経験を書き留めようと始めたのがこのブログです。 ガンが発見されたことは、自分にとってそれはそれは大きな衝撃でした。自分の中の何かが変わっていく大きな機会になったことは確かです。




 2016年8月29日
このブログを開設して5年が経過しました。 
直腸ガンの手術からも5年が経過し、病院からは成績優秀で卒業証書をいただきました。 何度かイレウスを発症していますが、後遺症は日常生活に殆ど影響しなくなりました。 体のために術後1年目から始めたランニングも、すっかり習慣化して、フルマラソンのタイムを追求するようになっています。
ブログの内容も日常の出来事や未来への活動が中心になってきました。





ガンや手術に関する記事をお探しの方は、2011年9月の周辺をご覧ください。


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2013年08月18日

豊根村 川宇連の念仏踊り はねこみ

2013.8.18
豊根村 川宇連の念仏踊り はねこみ


先日(2013.8.16)取材した
豊根村の坂宇場区で行われた念仏踊り
「はねこみ」をまとめてみます。


まず、
なぜわざわざ取材しに行ったのか? 
ですが、

そのような郷土芸能に
興味を示す年頃になった(笑)
ということと、

子供の頃から、
故郷の盆踊りに親しみ

同じ名称の「はねこみ」を
継承してきたこと。

友人からの魅力的な情報。

これらが重なって、
是非一度観覧したいと思っていました。


この地区の念仏踊りは、
送り盆の8月16日の夕刻から
初盆のお宅の庭先で行われた後に、

川宇連活性化施設の会場で
手踊りと念仏踊りがとり行われました。

<川宇連活性化施設>

大きな地図で見る


この地区の念仏踊りは
ご先祖様を地域全体で送り出す、
「送別会」のような性格の念仏踊りでした。

私の故郷の念仏踊りは
迎え盆の翌日8月14日に行われますので、
その性格は全く違います。

ご先祖様をお迎えして
地域全体で「歓迎会」を開く、
このような性格の念仏踊りです。


さて、会場の川宇連活性化施設には
中央に櫓が組まれて、

櫓には
初盆のお宅から持ち込まれた
纏(盆提灯)が飾られていました。






この写真をその場で
facebookへ投稿したところ、
以下のようなコメントをいただきました。

「吊るしているものが人に見えます
 ご先祖様がいらっしゃるような・・」

この行事の最後に分かったのですが、
まさに頂いたコメントそのものでした。


盆踊りは午後8時から始まりました。
始まりは櫓を囲んだ手踊りからです。

輪作りは「高い山」という盆唄






地域の方々や帰省された方々
お年寄りから小さなお子様まで、
「高い山」や「さんさ」を楽しまれました。


手踊りから約1時間後、
鉦と太鼓の音が会場に近付いてきました。

第1回目の
「はねこみ」と念仏の始まりです。
(約12分間)








(途中ピント外れする箇所多々有り ご了承ください)


「はねこみ」が終了すると、
再び手踊りが再開されました。




約1時間の手踊りの後に、

第2回目の
「はねこみ」と念仏が始まりました。
(約15分間)




(途中ピント外れする箇所多々有り ご了承ください)


第1回目のソレとは
少し舞い方が違いました。

「はねこみ」は3回行いましたが、
全て舞い方は違いました。

第2回目の「はねこみ」が終了すると、
再び手踊りが再開されました。


約1時間の手踊りの後に、
再び鉦と太鼓の音が近付いて来ました。

既に午後11時30分をまわった頃でしょうか。

第3回目の
「はねこみ」と念仏が始まりました。
(はねこみから川原まで約35分間)






(途中ピント外れする箇所多々有り ご了承ください)


動画にもありますように、
はねこみが終了しますと、

櫓に懸かっていた纏を竹竿に結わいて、
櫓の周りを念仏とともに回り始めました。

櫓の周りを最初は左回り、
暫くすると右回り、そして再び左回りに。






ひとしきり名残惜しく
櫓の周りを何度も何度も回ると、

先頭は会場の横を流れる川に沿って
川下へ下り始めました。


二つの川が合流する場所に着くと、
松明が点火されました。

竹竿に吊るされた纏は
次々に松明の上に掲げられ、

大きな炎とともに、
ご先祖様は天へ戻られていきました。




地域の方々は、
燃え盛る炎をそのままに、

振り返ることなく
立ち去っていきました。




川原で燃える纏の骨を残して、

送り盆の行事は仕舞いとなりました。