すべての人を輝く宝に!自分軸を見出して【人生第三章】を意図して生きる › 2012年09月
2012年09月30日
台風が通り過ぎる日に
2012年9月30日 台風が通り過ぎる日に
強い台風17号は、夜8時ごろには豊川を通過して、
時折雲の切れ間から満月が覗く夜となりました。
ちょうど一年前の今日、ガン切除の手術を受けました。
もう一年経ったのか。。。
病気がきっかけで書き出したこのブログ。
当時は日々の状況を、そのまま綴ってきました。
改めて読み返してみると、
小さな病変が与えたその影響力の大きさに驚きます。
結果として早期で且つ転移が無くても、
やはりガンは癌。
「死」を身近に考えたときの人の心は
大きく変化します。
普段は「死」のことを
殆ど意識せずに生きてきました。
ところが、人には必ず「死」が訪れます。
必ずです。
この、当たり前のことを身近に感じることが出来て
「良かったな」、と思っています。
強い台風17号は、夜8時ごろには豊川を通過して、
時折雲の切れ間から満月が覗く夜となりました。
ちょうど一年前の今日、ガン切除の手術を受けました。
もう一年経ったのか。。。
病気がきっかけで書き出したこのブログ。
当時は日々の状況を、そのまま綴ってきました。
改めて読み返してみると、
小さな病変が与えたその影響力の大きさに驚きます。
結果として早期で且つ転移が無くても、
やはりガンは癌。
「死」を身近に考えたときの人の心は
大きく変化します。
普段は「死」のことを
殆ど意識せずに生きてきました。
ところが、人には必ず「死」が訪れます。
必ずです。
この、当たり前のことを身近に感じることが出来て
「良かったな」、と思っています。
2012年09月29日
【戦略的・名刺交換セミナー】参加しました
2012年9月29日 【戦略的・名刺交換セミナー】参加しました
昨晩は、【戦略的・名刺交換セミナー】に参加しました。
製品開発という私の仕事柄、
仕事で名刺交換する場面は多い方ではありません。
交換するとしても、
相手の名前と役職に顔を結びつけるための道具に過ぎませんでした。
そんな状況でしたが、
今回のセミナーはお友達が主催するとあって、
何かピンっとくるものもあり参加したのです。
結果は大正解!でした。
あぁこうすれば、交換した相手に深く自分を印象付けられるんだ。。。
セミナーの内容は記載できませんが、
ギリギリの範囲で(笑)、学んだこと感じたことをお知らせしたいと思います。
講師の 小紫真由美先生は、
「セルフプロモーション」コンサルタント
~「売れる伝え方」の専門家~
公式ブログは →☆☆☆

【戦略的・名刺交換セミナー】ということで、
さぞかし名刺が重要なのかと思いきや、名刺は主役ではないとのこと。
確かに、いくら名刺がすばらしくても
相手の記憶に残って、
「また会いたい」と思われなければ、
折角交換しても次へつながりません。
では、名刺交換の際にどのようにしたら、
相手に人間的なインパクトが与えられるのか?
そのための戦略的交換術として、
4つのステップが今までのダメダメな交換をガラリと変えるのです!
そして、このステップの中で特に重要なのが、
ステップ3とステップ4。 と、私は感じました。
実は私、ステップ3は知識として知っておりました。
しかしこれ、知っているだけで実際に実践したことは無かったのです。
今回のセミナーでは、ワークの中でじっくりとステップ3を体験でき、
その中で、更にその効果を深めるノウハウも体得できたように思います。
そして今回、私の一番の学びと気づきのポイントは、ステップ4でした。
ここに相手から「また会いたい」と思わせる秘密が隠されていたからです。
このステップ4はほとんど時間を使わずに、そして端的に、
更に言ってしまえば「一瞬で」(少し言い過ぎ・・)
相手に信頼されて、そして記憶に残る自己PR手法だったのです。
ステップ4のワークでは、その手法を使用する前と使用後で
全く違いました。
その手法を学んだ後のワークでは、
私とワークをした相手のことを「この人のことをもっと知りたい!」
と素直に思えたのです!
この【戦略的・名刺交換セミナー】の学びを実践して、
売り上げが3倍になった方もいるそうです。
ある意味「キケン」なセミナー
お勧めするしかありませんね。
昨晩は、【戦略的・名刺交換セミナー】に参加しました。
製品開発という私の仕事柄、
仕事で名刺交換する場面は多い方ではありません。
交換するとしても、
相手の名前と役職に顔を結びつけるための道具に過ぎませんでした。
そんな状況でしたが、
今回のセミナーはお友達が主催するとあって、
何かピンっとくるものもあり参加したのです。
結果は大正解!でした。
あぁこうすれば、交換した相手に深く自分を印象付けられるんだ。。。
セミナーの内容は記載できませんが、
ギリギリの範囲で(笑)、学んだこと感じたことをお知らせしたいと思います。
講師の 小紫真由美先生は、
「セルフプロモーション」コンサルタント
~「売れる伝え方」の専門家~
公式ブログは →☆☆☆

【戦略的・名刺交換セミナー】ということで、
さぞかし名刺が重要なのかと思いきや、名刺は主役ではないとのこと。
確かに、いくら名刺がすばらしくても
相手の記憶に残って、
「また会いたい」と思われなければ、
折角交換しても次へつながりません。
では、名刺交換の際にどのようにしたら、
相手に人間的なインパクトが与えられるのか?
そのための戦略的交換術として、
4つのステップが今までのダメダメな交換をガラリと変えるのです!
そして、このステップの中で特に重要なのが、
ステップ3とステップ4。 と、私は感じました。
実は私、ステップ3は知識として知っておりました。
しかしこれ、知っているだけで実際に実践したことは無かったのです。
今回のセミナーでは、ワークの中でじっくりとステップ3を体験でき、
その中で、更にその効果を深めるノウハウも体得できたように思います。
そして今回、私の一番の学びと気づきのポイントは、ステップ4でした。
ここに相手から「また会いたい」と思わせる秘密が隠されていたからです。
このステップ4はほとんど時間を使わずに、そして端的に、
更に言ってしまえば「一瞬で」(少し言い過ぎ・・)
相手に信頼されて、そして記憶に残る自己PR手法だったのです。
ステップ4のワークでは、その手法を使用する前と使用後で
全く違いました。
その手法を学んだ後のワークでは、
私とワークをした相手のことを「この人のことをもっと知りたい!」
と素直に思えたのです!
この【戦略的・名刺交換セミナー】の学びを実践して、
売り上げが3倍になった方もいるそうです。
ある意味「キケン」なセミナー
お勧めするしかありませんね。
2012年09月28日
【戦略的・名刺交換セミナー】参加します
2012年9月28日 【戦略的・名刺交換セミナー】参加します
本日の夜は、セミナーに参加してそのまま懇親会へ参加します。
よって、今晩はブログを書く時間が無いと思われるため、
この時間に更新しておきます。
セミナーの状況はお伝えできる範囲で後日お知らせします。
どんなセミナー? という方へ、
小紫真由美先生のブログをどうぞ! →☆☆☆
本日の夜は、セミナーに参加してそのまま懇親会へ参加します。
よって、今晩はブログを書く時間が無いと思われるため、
この時間に更新しておきます。
セミナーの状況はお伝えできる範囲で後日お知らせします。
どんなセミナー? という方へ、
小紫真由美先生のブログをどうぞ! →☆☆☆

2012年09月27日
「勝手に人のブログを!」Ⅰ
2012年9月27日 「勝手に人のブログを!」Ⅰ
えっ、そこ? という新鮮な驚きがありました。
勝手に思い込んでいたこととのギャップに思わず紹介です。
「勝手に人のブログを!」の第一回目(笑)は、
楽しくなくっちゃイミがない!!
お客様と「感動」の共有を目指し、
地域のママさんスタッフとともに毎日楽しく働いている
プリモモ(USEDブランド子供服&レディースファッションの通販&買取WEBショップ)
オーナーさんの、2012年9月26日のブログ
「こころ晴れやかに!!躍動プリモモ!!(笑)」
リサイクルショップは、
人気ブランドのオシャレな洋服を
多少古くても格安、お値打ちに手に入れて、
育ち盛りで、すぐにサイズが合わなくなる子どもでも
あまり気にすることなく、
思う存分楽しめるオシャレを提供するところだと思っていました。
買い手が幸せになる素晴らしい場所なんだな~♪ と。
この勝手な思いは、たぶん外れてはいないと思います。
ところが!
「こころ晴れやかに!!躍動プリモモ!!(笑)」
コレを読んで、勝手な思い以上だったことに
正直、ガツンときて感動しました。
********************
やっぱり、タンスには新しく買った洋服を入れておきたいですからね。(^^)
どんどんお洋服を買い替えられるおしゃれ大好きママさんにとっては、
どんどん手放さないと、お家の中がお洋服だらけになってしまいますしね・・・。(^^)
********************
リサイクルショップなのに、新しい服のこと言ってるけど。。。
********************
プリモモでは、
そんなママさんたちが望むライフスタイルを応援させていただこうと、
買い取らせていただいたお洋服をネット通販にて全国へ販売しています。
それが使命だと思って、ネットショップの運営に努めています。
********************
えっ? そっちだったの??
********************
ショップで新しい洋服を買い、
それを着て週末にお出かけするのって、
気分もワクワクすると思います。
********************
プリモモで買って下さいって宣伝してませんが・・・
********************
たくさんオシャレをして、
世界中が笑顔であふれるようになることが、
僕の夢です。なんつって。(笑)
着なくなったお洋服は、どうぞプリモモへ。(笑)
********************
むしろ、買取の方に力入れてる??
私の認識の甘さでした。。
お客様は売り手と買い手の両方です。
その上で、新しい服でワクワクな気持ちを大切にする思い。
リサイクルという循環に係わるすべての人が幸せになるような
そんな思いが伝わって来ました。
この考え方は、ある意味機密事項です。
そして、この思いが無ければ、繁盛しないはずです。
そんな重要な考えまでを、惜しげもなく提供して
係わる全ての人を幸せにしてしまおうという思いが伝わって来ました。
与えすぎですよっ。。。(^^)/

えっ、そこ? という新鮮な驚きがありました。
勝手に思い込んでいたこととのギャップに思わず紹介です。
「勝手に人のブログを!」の第一回目(笑)は、
楽しくなくっちゃイミがない!!
お客様と「感動」の共有を目指し、
地域のママさんスタッフとともに毎日楽しく働いている
プリモモ(USEDブランド子供服&レディースファッションの通販&買取WEBショップ)
オーナーさんの、2012年9月26日のブログ
「こころ晴れやかに!!躍動プリモモ!!(笑)」
リサイクルショップは、
人気ブランドのオシャレな洋服を
多少古くても格安、お値打ちに手に入れて、
育ち盛りで、すぐにサイズが合わなくなる子どもでも
あまり気にすることなく、
思う存分楽しめるオシャレを提供するところだと思っていました。
買い手が幸せになる素晴らしい場所なんだな~♪ と。
この勝手な思いは、たぶん外れてはいないと思います。
ところが!
「こころ晴れやかに!!躍動プリモモ!!(笑)」
コレを読んで、勝手な思い以上だったことに
正直、ガツンときて感動しました。
********************
やっぱり、タンスには新しく買った洋服を入れておきたいですからね。(^^)
どんどんお洋服を買い替えられるおしゃれ大好きママさんにとっては、
どんどん手放さないと、お家の中がお洋服だらけになってしまいますしね・・・。(^^)
********************
リサイクルショップなのに、新しい服のこと言ってるけど。。。
********************
プリモモでは、
そんなママさんたちが望むライフスタイルを応援させていただこうと、
買い取らせていただいたお洋服をネット通販にて全国へ販売しています。
それが使命だと思って、ネットショップの運営に努めています。
********************
えっ? そっちだったの??
********************
ショップで新しい洋服を買い、
それを着て週末にお出かけするのって、
気分もワクワクすると思います。
********************
プリモモで買って下さいって宣伝してませんが・・・
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たくさんオシャレをして、
世界中が笑顔であふれるようになることが、
僕の夢です。なんつって。(笑)
着なくなったお洋服は、どうぞプリモモへ。(笑)
********************
むしろ、買取の方に力入れてる??
私の認識の甘さでした。。
お客様は売り手と買い手の両方です。
その上で、新しい服でワクワクな気持ちを大切にする思い。
リサイクルという循環に係わるすべての人が幸せになるような
そんな思いが伝わって来ました。
この考え方は、ある意味機密事項です。
そして、この思いが無ければ、繁盛しないはずです。
そんな重要な考えまでを、惜しげもなく提供して
係わる全ての人を幸せにしてしまおうという思いが伝わって来ました。
与えすぎですよっ。。。(^^)/

タグ :プリモモ
2012年09月26日
「栄光の、その先にあるもの」
2012年9月26日 「栄光の、その先にあるもの」
昨日紹介した、澤穂希さんの言葉は沁みますね。
「苦しくなったら私を見て、
私は最後まで全力で走り続けているから。」
もう少し彼女を知りたくなりました。
それは、様々な場面、特に会社では我々はチームプレーをしています。
なでしこジャパンは正にチームプレーの勝利。
そのキャプテンが、澤穂希さんだったからです。
澤穂希さんと糸井重里さんの対談記事
「栄光の、その先にあるもの」から、澤穂希さんの言葉を抜粋して、
キャプテン澤穂希さんの魅力をもう少し知りたいと思います。
******************
皆ライバルだし、
負けたくないという思いもあるけど、
まず「チームのために」って思える子たちが揃っていたのが
強さの理由だったのかなって思うんですよね。
******************
彼女がメンバーを全力で信頼する姿勢が現れた言葉だと思います。
信頼する気持ちにメンバーが応えて、あのようなチームになったのだと思います。
******************
団体競技の良さは、
自分のミスを周りがカバーしてくれることや、
誰かのミスは自分や他の人がカバーして
「喜び倍増、悲しみ半分」なことなんですよ。
******************
決して人のせいにしない。
自責で行動できるからチーム全体が成長していけたんだと思います。
******************
最後は完全に気持ちですね。
皆が同じ目標を見ていたし、
勝ちたいっていう気持ちがあったから
身体も自然と動いたんだと思います。
最終的には絶対、ハートです。
******************
******************
それにあのときは、
後々になってから気づいたことですが、
皆の気持ちを背負って戦っていたんだな、と。
******************
******************
だから私は、
グラウンドでの自分の役割の、
90分間走り続けるっていうことができたんだと思うんですよね。
******************
******************
いつも思うのは、「仲間っていいな」って。
******************
自分の役割を理解して行動で示す。
心からメンバーを信頼して自責で行動する。
学ぶことが多すぎます。感謝。。

昨日紹介した、澤穂希さんの言葉は沁みますね。
「苦しくなったら私を見て、
私は最後まで全力で走り続けているから。」
もう少し彼女を知りたくなりました。
それは、様々な場面、特に会社では我々はチームプレーをしています。
なでしこジャパンは正にチームプレーの勝利。
そのキャプテンが、澤穂希さんだったからです。
澤穂希さんと糸井重里さんの対談記事
「栄光の、その先にあるもの」から、澤穂希さんの言葉を抜粋して、
キャプテン澤穂希さんの魅力をもう少し知りたいと思います。
******************
皆ライバルだし、
負けたくないという思いもあるけど、
まず「チームのために」って思える子たちが揃っていたのが
強さの理由だったのかなって思うんですよね。
******************
彼女がメンバーを全力で信頼する姿勢が現れた言葉だと思います。
信頼する気持ちにメンバーが応えて、あのようなチームになったのだと思います。
******************
団体競技の良さは、
自分のミスを周りがカバーしてくれることや、
誰かのミスは自分や他の人がカバーして
「喜び倍増、悲しみ半分」なことなんですよ。
******************
決して人のせいにしない。
自責で行動できるからチーム全体が成長していけたんだと思います。
******************
最後は完全に気持ちですね。
皆が同じ目標を見ていたし、
勝ちたいっていう気持ちがあったから
身体も自然と動いたんだと思います。
最終的には絶対、ハートです。
******************
******************
それにあのときは、
後々になってから気づいたことですが、
皆の気持ちを背負って戦っていたんだな、と。
******************
******************
だから私は、
グラウンドでの自分の役割の、
90分間走り続けるっていうことができたんだと思うんですよね。
******************
******************
いつも思うのは、「仲間っていいな」って。
******************
自分の役割を理解して行動で示す。
心からメンバーを信頼して自責で行動する。
学ぶことが多すぎます。感謝。。

タグ :澤穂希
2012年09月25日
苦しくなったら私を見て・・
2012年9月25日 苦しくなったら私を見て・・
昨日のブログで、ある言葉に涙がこみ上げる話を、途中で終わらせました。
すみません、わざとです。。。
さて、その言葉は、なでしこジャパンの 澤穂希 さんが、
試合の前にメンバーへ伝えた言葉だと言われています。
「苦しくなったら私を見て、
私は最後まで全力で走り続けているから。」
タイプするだけで、感動がこみ上げてくる。。。いったいどうしたんだろう。。
ワールドカップの決勝で、日本はアメリカを倒しました。
最後はPKで。
PK戦に持ち込んだ時点で、既に勝負はついていたのかもしれません。
究極の場面で諦めずに食らいつく。
究極の場面で心が折れる。。。
格上のアメリカに食らいついていけたのは、
メンバーが澤選手の背中を見ていたから。
メンバーは、澤選手が一番走れないことを知っています。
そうです。 一番走れないのは澤選手だと誰もが知っていたのです。
「苦しくなったら私を見て、
私は最後まで全力で走り続けているから。」
この言葉を聞いて、若い選手達が俄然やる気になった、元気になった。
自分の中から湧き起こる勇気を感じたはずです。
一番重要なのは、諦めないこと。
強い人間が一番怖いのは、弱いのに諦めないで食らい付いてくること。
それを澤選手は知っていたのだと思います。
チームをまとめるリーダーが、
自らの姿勢を体を張って見せることで、物凄い力を発揮する集団が生まれる!
感動しました。 ありがとう。。

関連記事
二宮清純責任編集 SPORTS COMMUNICATIONS
ネット上では、「苦しくなったら、私の背中を見て」と伝えられています。
昨日のブログで、ある言葉に涙がこみ上げる話を、途中で終わらせました。
すみません、わざとです。。。
さて、その言葉は、なでしこジャパンの 澤穂希 さんが、
試合の前にメンバーへ伝えた言葉だと言われています。
「苦しくなったら私を見て、
私は最後まで全力で走り続けているから。」
タイプするだけで、感動がこみ上げてくる。。。いったいどうしたんだろう。。
ワールドカップの決勝で、日本はアメリカを倒しました。
最後はPKで。
PK戦に持ち込んだ時点で、既に勝負はついていたのかもしれません。
究極の場面で諦めずに食らいつく。
究極の場面で心が折れる。。。
格上のアメリカに食らいついていけたのは、
メンバーが澤選手の背中を見ていたから。
メンバーは、澤選手が一番走れないことを知っています。
そうです。 一番走れないのは澤選手だと誰もが知っていたのです。
「苦しくなったら私を見て、
私は最後まで全力で走り続けているから。」
この言葉を聞いて、若い選手達が俄然やる気になった、元気になった。
自分の中から湧き起こる勇気を感じたはずです。
一番重要なのは、諦めないこと。
強い人間が一番怖いのは、弱いのに諦めないで食らい付いてくること。
それを澤選手は知っていたのだと思います。
チームをまとめるリーダーが、
自らの姿勢を体を張って見せることで、物凄い力を発揮する集団が生まれる!
感動しました。 ありがとう。。

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二宮清純責任編集 SPORTS COMMUNICATIONS
ネット上では、「苦しくなったら、私の背中を見て」と伝えられています。
2012年09月24日
一年点検終了
2012年9月24日 一年点検終了
術後一年の検診月間が今日で終わりました。
結果は、「問題なし」。 ふぅぅ~・・・。
今日の朝ランは雲ひとつ無い快晴の星空の下で、
宇宙と一体になった清々しい週の始まりでした。
いい事あるぞ!

もともと、早期の直腸ガンで粘膜内に留まる上皮内新生物
所謂、上皮内ガンでしたので、転移の心配はまずありません、と。
大腸内視鏡検査にしろCTにしろ、
それを表す結果でした。
本日のメニューは、
・血液検査
・CT(参考:2011年のCT検査)
・外科受診
月曜日とあって、採血が込み合い、
最初に採血できずにCT後となってしまったため、
外科受診までに血中の腫瘍マーカの数値が間に合わず、
後日郵送となってしまいました。
しかし、たぶん腫瘍マーカも問題は無いでしょう。
なぜなら、私「絶好調」ですから。。。
次回は半年後。
そして、あと四年間、この検診は続きます。
さて、帰りの車の中でとある音声を聞いていて、
なぜだか急に、カァーーッと目頭が熱くなり、涙がこみ上げてきました。
なぜ、涙がこみ上げたのか、まだ分かりません。
何度そのポイントを聴いても、やはり涙がこみ上げるのです。
なぜなのか?
一日考えてみます。
そして明日、そのことについて書いてみたいと思います。
術後一年の検診月間が今日で終わりました。
結果は、「問題なし」。 ふぅぅ~・・・。
今日の朝ランは雲ひとつ無い快晴の星空の下で、
宇宙と一体になった清々しい週の始まりでした。
いい事あるぞ!
もともと、早期の直腸ガンで粘膜内に留まる上皮内新生物
所謂、上皮内ガンでしたので、転移の心配はまずありません、と。
大腸内視鏡検査にしろCTにしろ、
それを表す結果でした。
本日のメニューは、
・血液検査
・CT(参考:2011年のCT検査)
・外科受診
月曜日とあって、採血が込み合い、
最初に採血できずにCT後となってしまったため、
外科受診までに血中の腫瘍マーカの数値が間に合わず、
後日郵送となってしまいました。
しかし、たぶん腫瘍マーカも問題は無いでしょう。
なぜなら、私「絶好調」ですから。。。
次回は半年後。
そして、あと四年間、この検診は続きます。
さて、帰りの車の中でとある音声を聞いていて、
なぜだか急に、カァーーッと目頭が熱くなり、涙がこみ上げてきました。
なぜ、涙がこみ上げたのか、まだ分かりません。
何度そのポイントを聴いても、やはり涙がこみ上げるのです。
なぜなのか?
一日考えてみます。
そして明日、そのことについて書いてみたいと思います。
2012年09月23日
白銀の宮崎県!
2012年9月23日 白銀の宮崎県!
皆さん、九州の宮崎にどんなイメージをお持ちでしょうか?
私は温暖なイメージしかありませんでした。
ところが、私の中で温暖な筈の宮崎にスキー場があるのです!
その名も「五ヶ瀬ハイランドスキー場」
知ってました?
私は超ぉぉ~ ビックリしました。
思い込みって恐ろしいですね。

(五ヶ瀬ハイランドスキー場ホームページより抜粋)
今日は生憎の雨で、実家の稲刈りを手伝うことができず、
ほぼ一日、デスクワークをしておりました。
デスクワークをしていますと、FBの交流も盛んになります。。(汗)
お友達に宮崎の方が居りまして、
タイムラインにスキー部の部活の写真をアップされていました。
宮崎でスキー部??
どうもこの時期、
シーズンに備えて人工スキー場でトレイニングしていらっしゃるのです!
人工スキー場の名前は「ETOランド速日の峰」
国内最大級の人工芝スキー場です。
そしてその方、国体にも出場経験がある。。。
すっごく刺激されて、元気になりました(^^)/
久々に心底ビックリな雨の日曜日となりました。
皆さん、九州の宮崎にどんなイメージをお持ちでしょうか?
私は温暖なイメージしかありませんでした。
ところが、私の中で温暖な筈の宮崎にスキー場があるのです!
その名も「五ヶ瀬ハイランドスキー場」
知ってました?
私は超ぉぉ~ ビックリしました。
思い込みって恐ろしいですね。

(五ヶ瀬ハイランドスキー場ホームページより抜粋)
今日は生憎の雨で、実家の稲刈りを手伝うことができず、
ほぼ一日、デスクワークをしておりました。
デスクワークをしていますと、FBの交流も盛んになります。。(汗)
お友達に宮崎の方が居りまして、
タイムラインにスキー部の部活の写真をアップされていました。
宮崎でスキー部??
どうもこの時期、
シーズンに備えて人工スキー場でトレイニングしていらっしゃるのです!
人工スキー場の名前は「ETOランド速日の峰」
国内最大級の人工芝スキー場です。
そしてその方、国体にも出場経験がある。。。
すっごく刺激されて、元気になりました(^^)/
久々に心底ビックリな雨の日曜日となりました。
2012年09月22日
こうすれば成功するのね!
2012年9月22日 こうすれば成功するのね!

「念い通りの人生を実現させる成功脳の育て方」
西田文郎先生の講演を聴いてきました。
この講演はいつも良くしていただいている、
プリモモのオーナーさんからのメッセージで知りました。
ネットショップ:「プリモモ」
facebook page:「プリモモ」
オーナーブログ:「プリモモのドラマティック街道」
これまでいただいた情報にハズレはありません!
さて、恥ずかしながら私、西田文郎先生を存じ上げておりませんで、
どのような方なのか興味津々でしたし、その題にもヤラレました。
「念い通りの人生を実現させる成功脳の育て方」
先生は2時間半をマシンガンの如く休み無しで撃ちまくり、
受けとめるこちら側はてんこ盛りの弾を抱えきれない状況。
要は、、、
誰の人生も思い通りになっている! ということ。
モヤモヤしている人も、
大成功を収めている人も、
その人の思いが現実化しているとのこと。。
やはりそうか!
盛り上がってきたぞ!これは。
さらに先生は講演の中で、
10回以上、次の言葉を繰り返していました。
「親から自宅の電話番号を覚えられる脳をもらったあなたは天才です!」
んぅ いったい何のこと??
10桁の電話番号を覚えられる脳があれば、
誰でも成功できるということ。。。らしい。
なんだ! 簡単なコトなのね。
成功とは脳の錯覚、それも、肯定的錯覚で成されます。。
成功者は「デキル」と思った人、即ち「アホ」な人なんです。
これを「ちょろいの法則といいます」とまじめに仰っていました。
そうか。。。「ちょろい」のか。。
じゃぁ、今日から「アホ」になればいいのね(^^)/
「念い通りの人生を実現させる成功脳の育て方」
西田文郎先生の講演を聴いてきました。
この講演はいつも良くしていただいている、
プリモモのオーナーさんからのメッセージで知りました。
ネットショップ:「プリモモ」
facebook page:「プリモモ」
オーナーブログ:「プリモモのドラマティック街道」
これまでいただいた情報にハズレはありません!
さて、恥ずかしながら私、西田文郎先生を存じ上げておりませんで、
どのような方なのか興味津々でしたし、その題にもヤラレました。
「念い通りの人生を実現させる成功脳の育て方」
先生は2時間半をマシンガンの如く休み無しで撃ちまくり、
受けとめるこちら側はてんこ盛りの弾を抱えきれない状況。
要は、、、
誰の人生も思い通りになっている! ということ。
モヤモヤしている人も、
大成功を収めている人も、
その人の思いが現実化しているとのこと。。
やはりそうか!
盛り上がってきたぞ!これは。
さらに先生は講演の中で、
10回以上、次の言葉を繰り返していました。
「親から自宅の電話番号を覚えられる脳をもらったあなたは天才です!」
んぅ いったい何のこと??
10桁の電話番号を覚えられる脳があれば、
誰でも成功できるということ。。。らしい。
なんだ! 簡単なコトなのね。
成功とは脳の錯覚、それも、肯定的錯覚で成されます。。
成功者は「デキル」と思った人、即ち「アホ」な人なんです。
これを「ちょろいの法則といいます」とまじめに仰っていました。
そうか。。。「ちょろい」のか。。
じゃぁ、今日から「アホ」になればいいのね(^^)/
2012年09月21日
「いいね!」のパワー
2012年9月21日 「いいね!」のパワー
最近ホントに感謝していることがあります。
それは、
皆さんの「いいね!」
そして、「コメント」
facebookのウォールには元気にさせる言葉や写真、
エピソードややりとり等など、、、
もっと良くなろう、
もっと良くしてあげようと、
ワクワク楽しみながらハードワークしている人々。。
ブログにも嬉しいコメントの数々。。。
そんな方々と知り合い、触れ合うことで、
エネルギーをもらっています。
おまけにネット上だから、レスポンスも速い!
もし「いいね!」が無かったら、
朝のランニングは続いていないでしょう。
いつもの三日坊主だったはずです。
そして、
そこでの発見や気付きも無かったはず。
まだまだ始まったばかりですが、
皆さんに背中を押されて幸せです。
そして、もし自分の発信が誰かを元気にしているのなら、
プラスの連鎖が、スパイラルが、大きくなって、
みんなが幸せになっていけばいい。。。
「いいね!」のパワー、ありがとう^^

最近ホントに感謝していることがあります。
それは、
皆さんの「いいね!」
そして、「コメント」
facebookのウォールには元気にさせる言葉や写真、
エピソードややりとり等など、、、
もっと良くなろう、
もっと良くしてあげようと、
ワクワク楽しみながらハードワークしている人々。。
ブログにも嬉しいコメントの数々。。。
そんな方々と知り合い、触れ合うことで、
エネルギーをもらっています。
おまけにネット上だから、レスポンスも速い!
もし「いいね!」が無かったら、
朝のランニングは続いていないでしょう。
いつもの三日坊主だったはずです。
そして、
そこでの発見や気付きも無かったはず。
まだまだ始まったばかりですが、
皆さんに背中を押されて幸せです。
そして、もし自分の発信が誰かを元気にしているのなら、
プラスの連鎖が、スパイラルが、大きくなって、
みんなが幸せになっていけばいい。。。
「いいね!」のパワー、ありがとう^^

2012年09月20日
欲深い私(2011年)
2012年9月20日 欲深い私(2011年)
2011年9月31日、ガン告知を受けた時、
「あぁ~よかった」と思ったことがありました。
その時の気持ちは、2011年8月31日のブログ
「検査結果」の後半に記載してあります。
私はがん保険に2口加入しているので、
診断給付金「200万円」を受けられると思ったのです。
正直なところ、この金額が告知されたその時に頭に浮かびました。
「かなりのおつりが来るな・・・」と。
ところが、私は診断給付金を受ける用件を満たしておらず、
病院でガンと診断されたのに診断給付金は貰えませんでした。
そのあたりのことは、2011年11月9日のブログ
「私のガンはガンではない!」に記載しましたのでご確認ください。
つまり、大腸の粘膜内に留まっているガンは
「上皮内新生物」という区分けで、
ガン保険上は「ガン」と区別されていいます。
私の直腸ガンは正に「上皮内新生物」だったのです。
非常に複雑な心境でした。
退院の日にみほちゃん先生から病理結果を聞いたとき、
「やはりそうか・・・」
というガッカリした気持ちがありました。
2011年10月15日のブログ
「退院」に病理診断結果を記載しました。
粘膜内に留まっているということは、
今後も転移の心配は殆ど「0」という
喜ばしいことなのに!、です。
その心境は、2011年11月11日のブログ
「複雑な心境だった(ガン画像)」に記載しました。
「上皮内新生物」なのに6時間半の大手術をして、
おまけに、診断給付金が出ないなんて。。。
では、お金が出れば納得できたのか?
粘膜を突き破って進行していた方が良かったっていうのか?
複雑な心境になること自体、
健康のありがたみや家族や周囲の心配を蔑ろにしてないか!
自分の欲深さが露骨に表れた出来事でした。
自分をわざと傷つけて、保険金を騙し取る悪の心が
自分のどこかにあるようで、嫌悪感を感じます。
貰えなかったギャップに苦しんだことに関しては、
保険の内容をしっかり理解していなかったことにつきます。
「上皮内新生物」でも診断給付金が受けられる特約を
当初からもしくは途中から付けておくべきでした。
というより、
お金では換えられない健康体を取り戻せた喜びを、
退院の際にみほちゃん先生から説明を受けたときに
どうして素直に感じられないのですか?
全く欲深い自分に呆れます。。
2011年9月31日、ガン告知を受けた時、
「あぁ~よかった」と思ったことがありました。
その時の気持ちは、2011年8月31日のブログ
「検査結果」の後半に記載してあります。
私はがん保険に2口加入しているので、
診断給付金「200万円」を受けられると思ったのです。
正直なところ、この金額が告知されたその時に頭に浮かびました。
「かなりのおつりが来るな・・・」と。
ところが、私は診断給付金を受ける用件を満たしておらず、
病院でガンと診断されたのに診断給付金は貰えませんでした。
そのあたりのことは、2011年11月9日のブログ
「私のガンはガンではない!」に記載しましたのでご確認ください。
つまり、大腸の粘膜内に留まっているガンは
「上皮内新生物」という区分けで、
ガン保険上は「ガン」と区別されていいます。
私の直腸ガンは正に「上皮内新生物」だったのです。
非常に複雑な心境でした。
退院の日にみほちゃん先生から病理結果を聞いたとき、
「やはりそうか・・・」
というガッカリした気持ちがありました。
2011年10月15日のブログ
「退院」に病理診断結果を記載しました。
粘膜内に留まっているということは、
今後も転移の心配は殆ど「0」という
喜ばしいことなのに!、です。
その心境は、2011年11月11日のブログ
「複雑な心境だった(ガン画像)」に記載しました。
「上皮内新生物」なのに6時間半の大手術をして、
おまけに、診断給付金が出ないなんて。。。
では、お金が出れば納得できたのか?
粘膜を突き破って進行していた方が良かったっていうのか?
複雑な心境になること自体、
健康のありがたみや家族や周囲の心配を蔑ろにしてないか!
自分の欲深さが露骨に表れた出来事でした。
自分をわざと傷つけて、保険金を騙し取る悪の心が
自分のどこかにあるようで、嫌悪感を感じます。
貰えなかったギャップに苦しんだことに関しては、
保険の内容をしっかり理解していなかったことにつきます。
「上皮内新生物」でも診断給付金が受けられる特約を
当初からもしくは途中から付けておくべきでした。
というより、
お金では換えられない健康体を取り戻せた喜びを、
退院の際にみほちゃん先生から説明を受けたときに
どうして素直に感じられないのですか?
全く欲深い自分に呆れます。。
2012年09月19日
心の駆け引き(2011年)
2012年9月19日 心の駆け引き(2011年)
入院中に多少の躓きは有りましたが、順調に回復して
2011年10月15日、退院を迎えることができました。
18日間の入院生活でした。
「日が薬」
看護師さんがいつも口にしていた言葉です。
一日一日が薬のように体を回復させることで、
事実、人間の体の回復力に驚かされました。
回復には歩くことが一番! と、
手術後1日目から散歩を欠かさず続けてきたことが良かったのだと思います。
2週間半ぶりとはいえ、自宅が懐かしく感じましたが、
手術前のようには体は動かず、すぐに疲れが出てしまいます。
入院中は毎日2回の散歩をしてはいましたが、
想像以上に体力は衰えていました。
自分の中では、大事を取って11月末まで自宅療養を考えていました。
かなりゆったりとした療養計画です。
仕事上、能力が高い部下に恵まれ、
任せられる状況の中で、しっかり戻していこうと考えていました。
家に戻ってからも朝夕二回の散歩は欠かさず。
ラブ(次女)と一緒に一回2キロ以上は歩いていました。
ただ、体調は寄せては返す波の様に安定しませんでした。
張り切りすぎて微熱が出たり、なかなか昼寝から抜け出せなかったり。
ぐーたらしているように見える私を妻は心配したそうです。
このまま社会復帰が出来ないのでは・・・。
もしや心が病んでいるのではないか?
本当に復帰しようとしているのだろうか?
このままでは家族の生活が保障されない。
このように、最悪の事態を考えたのだと思います。
私は体調をコントロールできず、
ゆっくり様子を見ようとしていました。
傷病時に使えるストックされた会社の有給が2ヶ月分もあったからです。
そんな私の状態を傍からみれば、
病気を笠にサボっているように見えたのかもしれません。
「このままでは彼も家族もダメになる・・」
早く社会復帰するように促す妻と、
「そうは言っても微熱が続いて本調子じゃないんだ・・」
思うように体が順応しない私との間に、心の駆け引きが続きました。
会社員故の権利を行使できる甘えが私にあったのかもしれません。
しかし、見えないこの心の駆け引きは、お互いを疲弊させ、
一旦決めた復帰日を1週間伸ばさなければならない体調に
逆戻りさせてしまいました。
「日が薬」
社会復帰は11月16日(水)
その前日にはお互いランチでお祝いできる状態に心も体も回復しました。
「やっと社会復帰」
後から振り返ると、
お互いこの時期が一番精神的に苦しかったようです。
それぞれの思いをしっかり話し合っていれば、
もう少し早い復帰が出来たのかもしれませんね。
入院中に多少の躓きは有りましたが、順調に回復して
2011年10月15日、退院を迎えることができました。
18日間の入院生活でした。
「日が薬」
看護師さんがいつも口にしていた言葉です。
一日一日が薬のように体を回復させることで、
事実、人間の体の回復力に驚かされました。
回復には歩くことが一番! と、
手術後1日目から散歩を欠かさず続けてきたことが良かったのだと思います。
2週間半ぶりとはいえ、自宅が懐かしく感じましたが、
手術前のようには体は動かず、すぐに疲れが出てしまいます。
入院中は毎日2回の散歩をしてはいましたが、
想像以上に体力は衰えていました。
自分の中では、大事を取って11月末まで自宅療養を考えていました。
かなりゆったりとした療養計画です。
仕事上、能力が高い部下に恵まれ、
任せられる状況の中で、しっかり戻していこうと考えていました。
家に戻ってからも朝夕二回の散歩は欠かさず。
ラブ(次女)と一緒に一回2キロ以上は歩いていました。
ただ、体調は寄せては返す波の様に安定しませんでした。
張り切りすぎて微熱が出たり、なかなか昼寝から抜け出せなかったり。
ぐーたらしているように見える私を妻は心配したそうです。
このまま社会復帰が出来ないのでは・・・。
もしや心が病んでいるのではないか?
本当に復帰しようとしているのだろうか?
このままでは家族の生活が保障されない。
このように、最悪の事態を考えたのだと思います。
私は体調をコントロールできず、
ゆっくり様子を見ようとしていました。
傷病時に使えるストックされた会社の有給が2ヶ月分もあったからです。
そんな私の状態を傍からみれば、
病気を笠にサボっているように見えたのかもしれません。
「このままでは彼も家族もダメになる・・」
早く社会復帰するように促す妻と、
「そうは言っても微熱が続いて本調子じゃないんだ・・」
思うように体が順応しない私との間に、心の駆け引きが続きました。
会社員故の権利を行使できる甘えが私にあったのかもしれません。
しかし、見えないこの心の駆け引きは、お互いを疲弊させ、
一旦決めた復帰日を1週間伸ばさなければならない体調に
逆戻りさせてしまいました。
「日が薬」
社会復帰は11月16日(水)
その前日にはお互いランチでお祝いできる状態に心も体も回復しました。
「やっと社会復帰」
後から振り返ると、
お互いこの時期が一番精神的に苦しかったようです。
それぞれの思いをしっかり話し合っていれば、
もう少し早い復帰が出来たのかもしれませんね。
2012年09月18日
母は強し!
2012年9月18日 母は強し!
2012年9月16日未明 4時半にスタートして
日課の朝ランから戻って来た5時頃、
どこかの家から電話の音が鳴り響いていていました。

まさか自宅の電話とは思わず、
熱くなった体を外気に晒していました。
電話は実家の父親からでした。
「おかあさんが調子を崩して救急車で病院へ向かっている!」
それより、なぜ父親は家に居る??
汗をサッと流して、車に飛び乗りました。
悪い予感が過ぎりました。
母はお腹に都合5回のメスを入れています。
子宮筋腫、子宮体癌、乳癌、大腸癌、腸閉塞。
5回目の腸閉塞は、開腹手術をした後に起き易い病気です。
重い場合は手術になってしまいます。
電話で聞く限り、腸閉塞だ。。と思いました。
病院へ駆けつけると、
救急外来のベッドの上で、少し落ち着いた表情の母が一人でいました。
一人で救急車に乗って病院へ来ていたのです!
やれやれ、大事には至らなかったようだ。。
母から状況を聞くと今回の病状は以下でした。
************************
夕食でたくさん餃子を食べたのよ。
そうしたらお腹がムカムカしてきて、
変なゲップは出るし、横になってても眠れないの。
指を喉に入れて食べた物を吐いたのよ。
でも、ムカムカは直らなくて。。。
そのうちにお腹が張って痛くなってきたの。
お腹を触るだけで痛いのよ。
2時頃だったと思うわ。
少し我慢してたのだけれど、どんどん悪くなっていったの。
2時間ほど様子を見たけどだめだと思ったの。
慌てて救急車を呼んだわ。
この荷物はいつ入院しても良いように準備はしてあったのよ。
だからそれを持って、
近所に救急車の音が聞こえると迷惑だから、
救急車には離れたバス停まで来てってお願いしたわ。
そこまでは、お父さんに車で送ってもらったの。
救急隊員は何回も近くの病院でいいですか?って訊くのよ。
私はかかりつけの病院へ行って頂戴って言っているのに。
何回も訊くからキッパリと言ってやったわよ。
ここに来なければ今までのデータが無いから、
また最初から説明が要るじゃない。
そんなことも分からないのかしらね。
救急車は揺れたわよ。
そのたびに戻して苦しかったわ。
あっしまった!
パジャマで来ちゃったから、帰る服が無いわ。。。
***************************
こんな状況を三河弁で話してくれました。
その日は入院の手続き等をして、夕方には病院を出ました。
病状は落ち着いていたからです。
「また明日来るから。。」
そう言って入院した母をあとにしました。
家に帰って自分の携帯に3件の留守電が入っているのに気付きました。
1件は父から、2件は母からです。
母の1件目は実家からでした。
「救急車を呼んでかかりつけの病院へ行くから直ぐ来てください。」
母の2件目にはビックリしました。
ピィーポォーピィーポォーという音がバックに流れる中で、
「今、救急車に乗ってかかりつけの病院へ向かっています。
直ぐに来てください。」
母は一人で実家から離れたバス停で救急車に乗り込み、
最悪な体調と揺れの酷い救急車の中から携帯で電話をしていたのです。
口調から、苦しさを必死にこらえている様子が分かりました。
なんて強い人なんだ!
感心するばかり。。。
2012年9月16日未明 4時半にスタートして
日課の朝ランから戻って来た5時頃、
どこかの家から電話の音が鳴り響いていていました。
まさか自宅の電話とは思わず、
熱くなった体を外気に晒していました。
電話は実家の父親からでした。
「おかあさんが調子を崩して救急車で病院へ向かっている!」
それより、なぜ父親は家に居る??
汗をサッと流して、車に飛び乗りました。
悪い予感が過ぎりました。
母はお腹に都合5回のメスを入れています。
子宮筋腫、子宮体癌、乳癌、大腸癌、腸閉塞。
5回目の腸閉塞は、開腹手術をした後に起き易い病気です。
重い場合は手術になってしまいます。
電話で聞く限り、腸閉塞だ。。と思いました。
病院へ駆けつけると、
救急外来のベッドの上で、少し落ち着いた表情の母が一人でいました。
一人で救急車に乗って病院へ来ていたのです!
やれやれ、大事には至らなかったようだ。。
母から状況を聞くと今回の病状は以下でした。
************************
夕食でたくさん餃子を食べたのよ。
そうしたらお腹がムカムカしてきて、
変なゲップは出るし、横になってても眠れないの。
指を喉に入れて食べた物を吐いたのよ。
でも、ムカムカは直らなくて。。。
そのうちにお腹が張って痛くなってきたの。
お腹を触るだけで痛いのよ。
2時頃だったと思うわ。
少し我慢してたのだけれど、どんどん悪くなっていったの。
2時間ほど様子を見たけどだめだと思ったの。
慌てて救急車を呼んだわ。
この荷物はいつ入院しても良いように準備はしてあったのよ。
だからそれを持って、
近所に救急車の音が聞こえると迷惑だから、
救急車には離れたバス停まで来てってお願いしたわ。
そこまでは、お父さんに車で送ってもらったの。
救急隊員は何回も近くの病院でいいですか?って訊くのよ。
私はかかりつけの病院へ行って頂戴って言っているのに。
何回も訊くからキッパリと言ってやったわよ。
ここに来なければ今までのデータが無いから、
また最初から説明が要るじゃない。
そんなことも分からないのかしらね。
救急車は揺れたわよ。
そのたびに戻して苦しかったわ。
あっしまった!
パジャマで来ちゃったから、帰る服が無いわ。。。
***************************
こんな状況を三河弁で話してくれました。
その日は入院の手続き等をして、夕方には病院を出ました。
病状は落ち着いていたからです。
「また明日来るから。。」
そう言って入院した母をあとにしました。
家に帰って自分の携帯に3件の留守電が入っているのに気付きました。
1件は父から、2件は母からです。
母の1件目は実家からでした。
「救急車を呼んでかかりつけの病院へ行くから直ぐ来てください。」
母の2件目にはビックリしました。
ピィーポォーピィーポォーという音がバックに流れる中で、
「今、救急車に乗ってかかりつけの病院へ向かっています。
直ぐに来てください。」
母は一人で実家から離れたバス停で救急車に乗り込み、
最悪な体調と揺れの酷い救急車の中から携帯で電話をしていたのです。
口調から、苦しさを必死にこらえている様子が分かりました。
なんて強い人なんだ!
感心するばかり。。。
2012年09月17日
家族の支え(2011年)
2012年9月17日 家族の支え(2011年)
2011年9月30日、直腸のガンを直腸ごと切除する大手術は、
予定を1時間半も超過して、6時間半を要して成功しました。
全身麻酔で眠っている自分には全く何も手術の感覚はありません。
病室に戻って目覚めたとき、猛烈な寒さと両肘の痛みを感じるのみでした。
ところが、時間が経過するにつれて猛烈な痛みが襲いかかりました。
「術後0日」
妻は手術室へ私を送り出してから、
身を削って私を支えてくれました。
手術の遅れは、彼女の寿命を縮めたことでしょう。
「手術3」
特に術後数日の激しい痛みが引くまでは、
病室に泊まり込んで、看病を続けてくれました。
その後も毎朝、毎日病室へ来て私の世話をしてくれたのです。
ここで、我が家の家族構成(2011年現在)
・私(会社員)
・妻(パート)午前中のみ
・長女(高二)
・長男(中二)月曜以外毎日体操クラブ(送迎要)
・次女(トイプードル)朝夕散歩要
妻は毎日、
長男を20キロ離れた体操クラブへ送迎しなければなりませんでした。
その中で、毎朝病室へ駆けつけ、洗濯物や必要なモノを届け、
長女を世話し、私を励まし、そして勇気付けてくれました。
「妻からのメール1」
「妻からのメール2」
妻が家を空ける時間も多くなるので、
妻の母にも助けていただき、家族全員で支えていただきました。
倒れてもおかしくない状況だったと思います。
私は幸せ者です。
たくさんの「愛」で支えられて生きています。
家族、親戚、友達はもちろんのこと、
病院の医師、看護師、会社関係者、地域の方々・・・
私の命を守ってくれたのです。
その中にあって、妻の愛は広く深いものでした。
「ありがとう」 感謝しかありません。
2011年9月30日、直腸のガンを直腸ごと切除する大手術は、
予定を1時間半も超過して、6時間半を要して成功しました。
全身麻酔で眠っている自分には全く何も手術の感覚はありません。
病室に戻って目覚めたとき、猛烈な寒さと両肘の痛みを感じるのみでした。
ところが、時間が経過するにつれて猛烈な痛みが襲いかかりました。
「術後0日」
妻は手術室へ私を送り出してから、
身を削って私を支えてくれました。
手術の遅れは、彼女の寿命を縮めたことでしょう。
「手術3」
特に術後数日の激しい痛みが引くまでは、
病室に泊まり込んで、看病を続けてくれました。
その後も毎朝、毎日病室へ来て私の世話をしてくれたのです。
ここで、我が家の家族構成(2011年現在)
・私(会社員)
・妻(パート)午前中のみ
・長女(高二)
・長男(中二)月曜以外毎日体操クラブ(送迎要)
・次女(トイプードル)朝夕散歩要
妻は毎日、
長男を20キロ離れた体操クラブへ送迎しなければなりませんでした。
その中で、毎朝病室へ駆けつけ、洗濯物や必要なモノを届け、
長女を世話し、私を励まし、そして勇気付けてくれました。
「妻からのメール1」
「妻からのメール2」
妻が家を空ける時間も多くなるので、
妻の母にも助けていただき、家族全員で支えていただきました。
倒れてもおかしくない状況だったと思います。
私は幸せ者です。
たくさんの「愛」で支えられて生きています。
家族、親戚、友達はもちろんのこと、
病院の医師、看護師、会社関係者、地域の方々・・・
私の命を守ってくれたのです。
その中にあって、妻の愛は広く深いものでした。
「ありがとう」 感謝しかありません。
2012年09月16日
人肌のぬくもり(2011年)
2012年9月16日 人肌のぬくもり(2011年)
2011年9月28日、手術のために入院しました。
9月30日が手術日です。
やはり、なんら症状が出ていない体で入院することに
違和感がありました。
2011年9月28日「入院」
2日後に手術を控えて、もう逃げることはできません。
「どうか手術が成功しますように。。」
これだけでした。
手術への準備は坦々と進みました。
9月28日のブログ
9月29日のブログ
http://nmarugt3924.dosugoi.net/d2011-09-30.html
いよいよ手術の朝を迎えました。
特に不安も無くぐっすりと深い睡眠でしたが、
6時前に自然と目が覚めました。
手術開始は午前9時。
準備を終えて手術台へ横たわるまでの様子は
http://nmarugt3924.dosugoi.net/d2011-10-03.htmlに記載してあります。
そこでも記載しましたが、
手術室へ車椅子で入室してから、緊張感が高まってきました。
私の入院時期がちょうど看護師実習生の研修期間と重なっていたため、
私には専任の実習生が付いていました。
その方は、手術室で待っていてくれました。
手術を受ける前の自分は、
何か物にされたような感覚で、
荷物の様に車椅子で運ばれて行ったのですが、
実習生の笑顔で迎えられたとき、
「ほっ」と緊張がほぐれました。
「笑顔の力」って大きいですね。
無意識の緊張が緩むのがわかりました。
ところが、手術台に載せられ、全身麻酔の準備が整ったとき、
一度緩んだ緊張はピークに達していました。
ちょうどその時、実習生が私の左手を両手で包んでくれたのです。
私の目を見て、
「僕は今日一日ここで見守っていますので、安心していてくださいね。」
手術着の下は何も着けていません。
寒く緊張していた心と体が、
手の温もりと温かい言葉で一瞬にして緩みました。
そして、じわぁ~っと胸の中が熱くなってきました。
今まで人の温もりがこれほど心に響いたことがありませんでした。
言葉だけではあれほど響かなかったと思います。
あの温かさが無ければ、怯えたまま眠っていたでしょう。
私は温かい気持ちで安心して深く眠りました。
後に私はこの感動をその実習生に説明しています。
何気なくとった行動だったそうですが、
患者を思いやる深い気持ちがそうさせたのかなと思います。
素晴らしいことを教えていただきました。
感謝しかありません。
2011年9月28日、手術のために入院しました。
9月30日が手術日です。
やはり、なんら症状が出ていない体で入院することに
違和感がありました。
2011年9月28日「入院」
2日後に手術を控えて、もう逃げることはできません。
「どうか手術が成功しますように。。」
これだけでした。
手術への準備は坦々と進みました。
9月28日のブログ
9月29日のブログ
http://nmarugt3924.dosugoi.net/d2011-09-30.html
いよいよ手術の朝を迎えました。
特に不安も無くぐっすりと深い睡眠でしたが、
6時前に自然と目が覚めました。
手術開始は午前9時。
準備を終えて手術台へ横たわるまでの様子は
http://nmarugt3924.dosugoi.net/d2011-10-03.htmlに記載してあります。
そこでも記載しましたが、
手術室へ車椅子で入室してから、緊張感が高まってきました。
私の入院時期がちょうど看護師実習生の研修期間と重なっていたため、
私には専任の実習生が付いていました。
その方は、手術室で待っていてくれました。
手術を受ける前の自分は、
何か物にされたような感覚で、
荷物の様に車椅子で運ばれて行ったのですが、
実習生の笑顔で迎えられたとき、
「ほっ」と緊張がほぐれました。
「笑顔の力」って大きいですね。
無意識の緊張が緩むのがわかりました。
ところが、手術台に載せられ、全身麻酔の準備が整ったとき、
一度緩んだ緊張はピークに達していました。
ちょうどその時、実習生が私の左手を両手で包んでくれたのです。
私の目を見て、
「僕は今日一日ここで見守っていますので、安心していてくださいね。」
手術着の下は何も着けていません。
寒く緊張していた心と体が、
手の温もりと温かい言葉で一瞬にして緩みました。
そして、じわぁ~っと胸の中が熱くなってきました。
今まで人の温もりがこれほど心に響いたことがありませんでした。
言葉だけではあれほど響かなかったと思います。
あの温かさが無ければ、怯えたまま眠っていたでしょう。
私は温かい気持ちで安心して深く眠りました。
後に私はこの感動をその実習生に説明しています。
何気なくとった行動だったそうですが、
患者を思いやる深い気持ちがそうさせたのかなと思います。
素晴らしいことを教えていただきました。
感謝しかありません。
2012年09月15日
感情の波紋(2011年)
2012年9月15日 感情の波紋(2011年)
2011年8月23日に内視鏡で直腸にガンが発見されてから、
迫ってくるような圧迫感に襲われていました。
迫ってくるものは「恐怖」でした。
「怖い」のです。「逃れたい」のです。
死に近づいていくことが「怖い」
手術が失敗して目覚めないかもしれない、
重い後遺症が残るかもしれない、
しかし、何もしなければ、進行して確実に命を蝕みます。
ところが、ガンは発見されても、
それによると思われる症状が体に現れてないだけに、
どうして後遺症が残る大手術を受ける必要があるのだろう?
と、なかなか飲み込めませんでした。
また、たとえ手術が成功したとしても、
転移があれば生存率は低下します。
「果たして、あとどれだけ生きられるのだろうか・・・」
「後遺症によって、どれだけ生活が制限されるのか?」
「今まで自分は何をしてきたのか?」
「それは本当にやりたいことだったのか?」
「・・・・・」
頭の中に浮かんでくるのは、自分のことばかり。。。
家族への気遣いや心配よりも、
圧倒的に自分自身の限られた時間をどうするかという心配でした。
だから、これまでの自分に180度舵を切って、
とにかく人に会い、
セミナーに参加し、
人の職場へ押しかけ、
カウンセリングを受け、
パーティー・交流会に参加し、
などなど、、行動して自分探しを始めました。
時には帰宅が午前様になるときもありました。
とにかく、「急がなければ!」だったのです。
しかし、病人を抱える家族にとって、
一番体を大切にして欲しい時期に、
好き放題やっている私の行動は理解されるはずがありません。
病気によって収入が絶たれ、路頭に迷うかもしれない。
なのにいったい何をやっているのか!
子ども達の未来をどう考えているのか?
何度も話し合いました。
泣きながら話し合いましたし、
大声を張り上げたりもしました。
子ども達も巻き込んで・・・
今、振り返って考えると、
その時自分がどれだけやりきっていたのか!
ということではないのかと。
モヤッとしたまま生きてきたからではないのか と。
もしも、一日一日を人生最後の日の如く、
精一杯生きていたのなら、やりきっていたのなら、
このような状況に立たされたときに、
もっと自分の外に目を向けることが出来たのではないのかなと。
今はこのように考えています。
明日は、入院して手術台に載るまでを振り返ります。
2011年8月23日に内視鏡で直腸にガンが発見されてから、
迫ってくるような圧迫感に襲われていました。
迫ってくるものは「恐怖」でした。
「怖い」のです。「逃れたい」のです。
死に近づいていくことが「怖い」
手術が失敗して目覚めないかもしれない、
重い後遺症が残るかもしれない、
しかし、何もしなければ、進行して確実に命を蝕みます。
ところが、ガンは発見されても、
それによると思われる症状が体に現れてないだけに、
どうして後遺症が残る大手術を受ける必要があるのだろう?
と、なかなか飲み込めませんでした。
また、たとえ手術が成功したとしても、
転移があれば生存率は低下します。
「果たして、あとどれだけ生きられるのだろうか・・・」
「後遺症によって、どれだけ生活が制限されるのか?」
「今まで自分は何をしてきたのか?」
「それは本当にやりたいことだったのか?」
「・・・・・」
頭の中に浮かんでくるのは、自分のことばかり。。。
家族への気遣いや心配よりも、
圧倒的に自分自身の限られた時間をどうするかという心配でした。
だから、これまでの自分に180度舵を切って、
とにかく人に会い、
セミナーに参加し、
人の職場へ押しかけ、
カウンセリングを受け、
パーティー・交流会に参加し、
などなど、、行動して自分探しを始めました。
時には帰宅が午前様になるときもありました。
とにかく、「急がなければ!」だったのです。
しかし、病人を抱える家族にとって、
一番体を大切にして欲しい時期に、
好き放題やっている私の行動は理解されるはずがありません。
病気によって収入が絶たれ、路頭に迷うかもしれない。
なのにいったい何をやっているのか!
子ども達の未来をどう考えているのか?
何度も話し合いました。
泣きながら話し合いましたし、
大声を張り上げたりもしました。
子ども達も巻き込んで・・・
今、振り返って考えると、
その時自分がどれだけやりきっていたのか!
ということではないのかと。
モヤッとしたまま生きてきたからではないのか と。
もしも、一日一日を人生最後の日の如く、
精一杯生きていたのなら、やりきっていたのなら、
このような状況に立たされたときに、
もっと自分の外に目を向けることが出来たのではないのかなと。
今はこのように考えています。
明日は、入院して手術台に載るまでを振り返ります。
2012年09月14日
入院までの気持ちの動き(2011年)
2012年9月14日 入院までの気持ちの動き(2011年)
決めてしまえば楽になるのかと思っていましたが、
そうはいきませんでした。
2011年9月15日に手術日を9月30日と決めてから、
その日が迫ってくるような圧迫感に襲われていました。
気を紛らす手段として、
facebookの友達がアップする情報を試してみたり、
不安な心境をブログへ綴ってみたり、
2011年9月22日「刻一刻と」
実家へ帰省して両親の顔を見たり
仏壇で手を合わせたり、
2011年9月24日「泣けばすっきり」
文章講座へ参加して、
勉強もしたいけれど、人との交流で癒されたかったり、
友達のお店や職場を電撃訪問したり、
迫ってくるものを振り払おうとして、
でも何かやり場の無い場当たり的な行動をしていました。
迫ってくるものは何か?
それは「恐怖」です。
「怖い」のです。
「逃れたい」のです。
でも、「生きたい」。
ガンによる症状が全く無いだけに、
後遺症が残る大手術を受ける必要性が全く飲み込めていませんでした。
入院する直前の週末、
自分に必要なパジャマを買うと、もうすぐ入院なんだ。。。
と、気持ちも次第に治まっていきました。
気持ちが治まるまでの私の行動は、
家族の中に大きな感情の波紋を広げていました。
その時そのことに私は気付いていません。
自分のことで精一杯だったからです。
この感情の波紋については、次で記したいと思います。
決めてしまえば楽になるのかと思っていましたが、
そうはいきませんでした。
2011年9月15日に手術日を9月30日と決めてから、
その日が迫ってくるような圧迫感に襲われていました。
気を紛らす手段として、
facebookの友達がアップする情報を試してみたり、
不安な心境をブログへ綴ってみたり、
2011年9月22日「刻一刻と」
実家へ帰省して両親の顔を見たり
仏壇で手を合わせたり、
2011年9月24日「泣けばすっきり」
文章講座へ参加して、
勉強もしたいけれど、人との交流で癒されたかったり、
友達のお店や職場を電撃訪問したり、
迫ってくるものを振り払おうとして、
でも何かやり場の無い場当たり的な行動をしていました。
迫ってくるものは何か?
それは「恐怖」です。
「怖い」のです。
「逃れたい」のです。
でも、「生きたい」。
ガンによる症状が全く無いだけに、
後遺症が残る大手術を受ける必要性が全く飲み込めていませんでした。
入院する直前の週末、
自分に必要なパジャマを買うと、もうすぐ入院なんだ。。。
と、気持ちも次第に治まっていきました。
気持ちが治まるまでの私の行動は、
家族の中に大きな感情の波紋を広げていました。
その時そのことに私は気付いていません。
自分のことで精一杯だったからです。
この感情の波紋については、次で記したいと思います。
2012年09月13日
手術日程を決定するまで(2011年)
2012年9月13日 手術日程を決定するまで(2011年)
やはりそうでした。
しかも、表面の皺から多少深く進行している可能も示唆されました。
「早く取ってしまいたい!」
時間の経過がどんどん自分の命を蝕むように感じました。
2011年8月31日に、ガンを告知され、
それからの2週間で怒涛の如く検査を実施しました。
CT検査:9月5日
腹部エコー・胃カメラ:9月7日
大腸バリウム:9月8日
内科受診:9月14日
外科受診:9月15日
とにかく、
「早く処置して長く生きたい!」
ぐずぐずしてはいられない、これだけでした。
だから、外科受診までの間に夫婦で決めたことがありました。
それは、
外科受診の9月15日に最短で手術日を決める。
手術は今かかっている病院で行う。
でした。
ところが、決めたはいいものの迷いが出てきました。
webで調べると、かなり大きな腫瘍でも、
内視鏡で剥離手術を実施している専門病院がある。
その方が負担が少なそうだ。
どうやら、かかりつけの病院ではその技術は無さそうだ。
セカンドオピニオンを受けて迷いなく手術を選択すべきでは。。。
そんなことを考えているうちに、
怒涛の検査が終了して、9月15日を迎えてしまいました。
先生とお話をしているうちに、その迷いが大きくなり、
「セカンドオピニオンをします!」
と言っていました。
が、別の病院へ行くと更に1ヶ月以上を要します。
先生もそのように仰っていました。
「ここで手術をします!」
ぐずぐず出来ない、そう思い、モヤモヤを断ち切って決断しました。
<2011年 昨年の手術日程>
入院:9月28日
手術:9月30日
その日から2週間後に手術です。
決断から秒読みが始まったようで、
じわじわと追い詰められるような感覚が始まりました。
今回私は、追い詰められるような感覚に襲われ、
セカンドオピニオンをしませんでした。
しかし、本人や家族が十分に納得した手術を選択するためにも、
セカンドオピニオンまたはそれ以上をお勧めします。
(その分時間を要しますが・・・)
やはりそうでした。
しかも、表面の皺から多少深く進行している可能も示唆されました。
「早く取ってしまいたい!」
時間の経過がどんどん自分の命を蝕むように感じました。
2011年8月31日に、ガンを告知され、
それからの2週間で怒涛の如く検査を実施しました。
CT検査:9月5日
腹部エコー・胃カメラ:9月7日
大腸バリウム:9月8日
内科受診:9月14日
外科受診:9月15日
とにかく、
「早く処置して長く生きたい!」
ぐずぐずしてはいられない、これだけでした。
だから、外科受診までの間に夫婦で決めたことがありました。
それは、
外科受診の9月15日に最短で手術日を決める。
手術は今かかっている病院で行う。
でした。
ところが、決めたはいいものの迷いが出てきました。
webで調べると、かなり大きな腫瘍でも、
内視鏡で剥離手術を実施している専門病院がある。
その方が負担が少なそうだ。
どうやら、かかりつけの病院ではその技術は無さそうだ。
セカンドオピニオンを受けて迷いなく手術を選択すべきでは。。。
そんなことを考えているうちに、
怒涛の検査が終了して、9月15日を迎えてしまいました。
先生とお話をしているうちに、その迷いが大きくなり、
「セカンドオピニオンをします!」
と言っていました。
が、別の病院へ行くと更に1ヶ月以上を要します。
先生もそのように仰っていました。
「ここで手術をします!」
ぐずぐず出来ない、そう思い、モヤモヤを断ち切って決断しました。
<2011年 昨年の手術日程>
入院:9月28日
手術:9月30日
その日から2週間後に手術です。
決断から秒読みが始まったようで、
じわじわと追い詰められるような感覚が始まりました。
今回私は、追い詰められるような感覚に襲われ、
セカンドオピニオンをしませんでした。
しかし、本人や家族が十分に納得した手術を選択するためにも、
セカンドオピニオンまたはそれ以上をお勧めします。
(その分時間を要しますが・・・)
2012年09月12日
検査結果が出るまで(2011年)
2012年9月12日 検査結果が出るまで(2011年)
結果が出るまで、不安定な1週間でした。
昨年の大腸内視鏡検査で、
その場で処置できないポリープが直腸に発見され、
採取された検体からその正体が明らかになるまでの1週間です。
落ち着きませんでした。
8月23日に大腸内視鏡で腫瘍が確認されたことを、
話すべきか、こらえるべきか、
まず、妻にありのままを話しました。が、モヤモヤは募るばかり。
会社でも落ち着かず、耐え切れず不確定な情報として同僚に話し、
暫く休む可能性を伝え、少しは落ち着いては来ましたが、
何かをしたい!
週末は友達にお願いしてSUP(スタンドアップパドリング)をしたり、
月曜日なのにあえてビール電車(宴会・交流会)に乗車したり、
検査結果を聞くまでは、落ち着きませんでした。
結果を聞いた日の状況は、
2011年8月31日のブログ「検査結果」に記載しました。
「やっぱりそうか・・
どれくらい進行しているのか?」
早くその正体を知るために、
最短コースで程度を特定するに必要な検査予約を押し込みました。
妻の落ち込みは相当でした。
私の体を気づかう気持ちと、
もしもを考えて家族の今後を悲観してしまう気持ち。
何かが崩れていく様だった、と言っていました。
こうなる前の定期検診、人間ドック、
健康で何も無いときに受ければ、
未然に防ぐことが出来るでしょう。
結果が出るまで、不安定な1週間でした。
昨年の大腸内視鏡検査で、
その場で処置できないポリープが直腸に発見され、
採取された検体からその正体が明らかになるまでの1週間です。
落ち着きませんでした。
8月23日に大腸内視鏡で腫瘍が確認されたことを、
話すべきか、こらえるべきか、
まず、妻にありのままを話しました。が、モヤモヤは募るばかり。
会社でも落ち着かず、耐え切れず不確定な情報として同僚に話し、
暫く休む可能性を伝え、少しは落ち着いては来ましたが、
何かをしたい!
週末は友達にお願いしてSUP(スタンドアップパドリング)をしたり、
月曜日なのにあえてビール電車(宴会・交流会)に乗車したり、
検査結果を聞くまでは、落ち着きませんでした。
結果を聞いた日の状況は、
2011年8月31日のブログ「検査結果」に記載しました。
「やっぱりそうか・・
どれくらい進行しているのか?」
早くその正体を知るために、
最短コースで程度を特定するに必要な検査予約を押し込みました。
妻の落ち込みは相当でした。
私の体を気づかう気持ちと、
もしもを考えて家族の今後を悲観してしまう気持ち。
何かが崩れていく様だった、と言っていました。
こうなる前の定期検診、人間ドック、
健康で何も無いときに受ければ、
未然に防ぐことが出来るでしょう。
2012年09月11日
昨年の検査結果を振り返って
2012年9月11日 昨年の検査結果を振り返って
昨日のブログでは、術後1年の大腸内視鏡検査結果を報告しました。
特に何もなくて「ふぅ~ よかったぁ」といった感想です。
昨年は、検査結果に衝撃を受けました。
このことは、2011年8月23日のブログ「検査結果」に綴ってあります。
今一度、その時を振り返ってみたいと思います。(1周年記念なので。。。)
大腸内視鏡検査は、先ずカメラの先端を盲腸まで進めて、
引き返しながら写真を撮影して異常を確認します。
その日は、カメラを挿入してすぐのところ(直腸)に、
周囲とは明らかに色が違う出来物がモニターに映し出されました。
2011年8月23日のブログ「検査」に書いたとおり、
すぐに何かがわかりました。
明らかに違和感のある「モノ」だったからです。
カメラが写しだすその他の映像も食い入るように見つめて
他に無いかを絶対に見落とすまいと確認しました。
頭の中は、「あぁ・・ 見つけちゃった。。」
心臓の鼓動が速くなったことを覚えています。
< 複雑な心境だった(ガン画像)>
検査が終了した直後に先生へ質問しました。
「直腸のどの辺りですか?」
「真ん中より下です。」
先生がこちらを見ずに答えたことを覚えています。
検査前にネットで多少の知識を付けて行ったので、
腫瘍の位置は重要でした。
位置によっては、ストーマ(人口肛門)になるからです。
なんとなく、ギリギリの位置だと思うと、更に鼓動が高まりました。
また、進行具合によっては苦しい抗癌治療が待っていますし、
5年後生存率も下がります。
これは、両親がともにガンを経験していましたので、
現場から得られた知識として備わっていました。
1週間後に結果が判るのですが、既に私にはわかっていました。
それより、どれだけ進行しているのか、
家族へどう伝えようか。。。
この日から、自分を変えることにしました。
会社勤めの私は、異業種の方との交流は殆ど無く、
関連業界以外は全くの世間知らずだったのです。
あと、どれだけあるかわからない人生を
このままで終わらせるわけにはいかない!
自分が本当にやりたいことはなんだろう?
とにかく交流を広げて行こう。
自分の夢が何かを見つけ出して一歩を踏み出そう。
このように考えて
とにかく人に会い、
セミナーに参加し、
職場へ押しかけ、
カウンセリングを受け、
パーティー・交流会に参加し、
などなど、、行動し始めました。
とにかく、「急がなければ!」だったのです。
一気に180度舵を切ったためか、
家族の理解はなかなか得られませんでした。
病気を治すことに専念しなければならないのに、
いったいお前は何をやっているのか! と。。
しかし、自分にとってそれくらい衝撃的な出来事だったのです。
ブログを書くこともその時決めて今に至っています。
自分の経験が、それを求める人に役立って欲しいから。
それ位、この病気が与えるインパクトは大きく、
その衝撃をどちらの方向へ受け止めるかが重要なのです。
つまり、ピンチかチャンスかです。
私は、「これはチャンスだ!」
と無理やり受け止めることにしました。
昨日のブログでは、術後1年の大腸内視鏡検査結果を報告しました。
特に何もなくて「ふぅ~ よかったぁ」といった感想です。
昨年は、検査結果に衝撃を受けました。
このことは、2011年8月23日のブログ「検査結果」に綴ってあります。
今一度、その時を振り返ってみたいと思います。(1周年記念なので。。。)
大腸内視鏡検査は、先ずカメラの先端を盲腸まで進めて、
引き返しながら写真を撮影して異常を確認します。
その日は、カメラを挿入してすぐのところ(直腸)に、
周囲とは明らかに色が違う出来物がモニターに映し出されました。
2011年8月23日のブログ「検査」に書いたとおり、
すぐに何かがわかりました。
明らかに違和感のある「モノ」だったからです。
カメラが写しだすその他の映像も食い入るように見つめて
他に無いかを絶対に見落とすまいと確認しました。
頭の中は、「あぁ・・ 見つけちゃった。。」
心臓の鼓動が速くなったことを覚えています。
< 複雑な心境だった(ガン画像)>
検査が終了した直後に先生へ質問しました。
「直腸のどの辺りですか?」
「真ん中より下です。」
先生がこちらを見ずに答えたことを覚えています。
検査前にネットで多少の知識を付けて行ったので、
腫瘍の位置は重要でした。
位置によっては、ストーマ(人口肛門)になるからです。
なんとなく、ギリギリの位置だと思うと、更に鼓動が高まりました。
また、進行具合によっては苦しい抗癌治療が待っていますし、
5年後生存率も下がります。
これは、両親がともにガンを経験していましたので、
現場から得られた知識として備わっていました。
1週間後に結果が判るのですが、既に私にはわかっていました。
それより、どれだけ進行しているのか、
家族へどう伝えようか。。。
この日から、自分を変えることにしました。
会社勤めの私は、異業種の方との交流は殆ど無く、
関連業界以外は全くの世間知らずだったのです。
あと、どれだけあるかわからない人生を
このままで終わらせるわけにはいかない!
自分が本当にやりたいことはなんだろう?
とにかく交流を広げて行こう。
自分の夢が何かを見つけ出して一歩を踏み出そう。
このように考えて
とにかく人に会い、
セミナーに参加し、
職場へ押しかけ、
カウンセリングを受け、
パーティー・交流会に参加し、
などなど、、行動し始めました。
とにかく、「急がなければ!」だったのです。
一気に180度舵を切ったためか、
家族の理解はなかなか得られませんでした。
病気を治すことに専念しなければならないのに、
いったいお前は何をやっているのか! と。。
しかし、自分にとってそれくらい衝撃的な出来事だったのです。
ブログを書くこともその時決めて今に至っています。
自分の経験が、それを求める人に役立って欲しいから。
それ位、この病気が与えるインパクトは大きく、
その衝撃をどちらの方向へ受け止めるかが重要なのです。
つまり、ピンチかチャンスかです。
私は、「これはチャンスだ!」
と無理やり受け止めることにしました。