すべての人を輝く宝に!自分軸を見出して【人生第三章】を意図して生きる › 2012年09月11日
2012年09月11日
昨年の検査結果を振り返って
2012年9月11日 昨年の検査結果を振り返って
昨日のブログでは、術後1年の大腸内視鏡検査結果を報告しました。
特に何もなくて「ふぅ~ よかったぁ」といった感想です。
昨年は、検査結果に衝撃を受けました。
このことは、2011年8月23日のブログ「検査結果」に綴ってあります。
今一度、その時を振り返ってみたいと思います。(1周年記念なので。。。)
大腸内視鏡検査は、先ずカメラの先端を盲腸まで進めて、
引き返しながら写真を撮影して異常を確認します。
その日は、カメラを挿入してすぐのところ(直腸)に、
周囲とは明らかに色が違う出来物がモニターに映し出されました。
2011年8月23日のブログ「検査」に書いたとおり、
すぐに何かがわかりました。
明らかに違和感のある「モノ」だったからです。
カメラが写しだすその他の映像も食い入るように見つめて
他に無いかを絶対に見落とすまいと確認しました。
頭の中は、「あぁ・・ 見つけちゃった。。」
心臓の鼓動が速くなったことを覚えています。
< 複雑な心境だった(ガン画像)>
検査が終了した直後に先生へ質問しました。
「直腸のどの辺りですか?」
「真ん中より下です。」
先生がこちらを見ずに答えたことを覚えています。
検査前にネットで多少の知識を付けて行ったので、
腫瘍の位置は重要でした。
位置によっては、ストーマ(人口肛門)になるからです。
なんとなく、ギリギリの位置だと思うと、更に鼓動が高まりました。
また、進行具合によっては苦しい抗癌治療が待っていますし、
5年後生存率も下がります。
これは、両親がともにガンを経験していましたので、
現場から得られた知識として備わっていました。
1週間後に結果が判るのですが、既に私にはわかっていました。
それより、どれだけ進行しているのか、
家族へどう伝えようか。。。
この日から、自分を変えることにしました。
会社勤めの私は、異業種の方との交流は殆ど無く、
関連業界以外は全くの世間知らずだったのです。
あと、どれだけあるかわからない人生を
このままで終わらせるわけにはいかない!
自分が本当にやりたいことはなんだろう?
とにかく交流を広げて行こう。
自分の夢が何かを見つけ出して一歩を踏み出そう。
このように考えて
とにかく人に会い、
セミナーに参加し、
職場へ押しかけ、
カウンセリングを受け、
パーティー・交流会に参加し、
などなど、、行動し始めました。
とにかく、「急がなければ!」だったのです。
一気に180度舵を切ったためか、
家族の理解はなかなか得られませんでした。
病気を治すことに専念しなければならないのに、
いったいお前は何をやっているのか! と。。
しかし、自分にとってそれくらい衝撃的な出来事だったのです。
ブログを書くこともその時決めて今に至っています。
自分の経験が、それを求める人に役立って欲しいから。
それ位、この病気が与えるインパクトは大きく、
その衝撃をどちらの方向へ受け止めるかが重要なのです。
つまり、ピンチかチャンスかです。
私は、「これはチャンスだ!」
と無理やり受け止めることにしました。
昨日のブログでは、術後1年の大腸内視鏡検査結果を報告しました。
特に何もなくて「ふぅ~ よかったぁ」といった感想です。
昨年は、検査結果に衝撃を受けました。
このことは、2011年8月23日のブログ「検査結果」に綴ってあります。
今一度、その時を振り返ってみたいと思います。(1周年記念なので。。。)
大腸内視鏡検査は、先ずカメラの先端を盲腸まで進めて、
引き返しながら写真を撮影して異常を確認します。
その日は、カメラを挿入してすぐのところ(直腸)に、
周囲とは明らかに色が違う出来物がモニターに映し出されました。
2011年8月23日のブログ「検査」に書いたとおり、
すぐに何かがわかりました。
明らかに違和感のある「モノ」だったからです。
カメラが写しだすその他の映像も食い入るように見つめて
他に無いかを絶対に見落とすまいと確認しました。
頭の中は、「あぁ・・ 見つけちゃった。。」
心臓の鼓動が速くなったことを覚えています。
< 複雑な心境だった(ガン画像)>
検査が終了した直後に先生へ質問しました。
「直腸のどの辺りですか?」
「真ん中より下です。」
先生がこちらを見ずに答えたことを覚えています。
検査前にネットで多少の知識を付けて行ったので、
腫瘍の位置は重要でした。
位置によっては、ストーマ(人口肛門)になるからです。
なんとなく、ギリギリの位置だと思うと、更に鼓動が高まりました。
また、進行具合によっては苦しい抗癌治療が待っていますし、
5年後生存率も下がります。
これは、両親がともにガンを経験していましたので、
現場から得られた知識として備わっていました。
1週間後に結果が判るのですが、既に私にはわかっていました。
それより、どれだけ進行しているのか、
家族へどう伝えようか。。。
この日から、自分を変えることにしました。
会社勤めの私は、異業種の方との交流は殆ど無く、
関連業界以外は全くの世間知らずだったのです。
あと、どれだけあるかわからない人生を
このままで終わらせるわけにはいかない!
自分が本当にやりたいことはなんだろう?
とにかく交流を広げて行こう。
自分の夢が何かを見つけ出して一歩を踏み出そう。
このように考えて
とにかく人に会い、
セミナーに参加し、
職場へ押しかけ、
カウンセリングを受け、
パーティー・交流会に参加し、
などなど、、行動し始めました。
とにかく、「急がなければ!」だったのです。
一気に180度舵を切ったためか、
家族の理解はなかなか得られませんでした。
病気を治すことに専念しなければならないのに、
いったいお前は何をやっているのか! と。。
しかし、自分にとってそれくらい衝撃的な出来事だったのです。
ブログを書くこともその時決めて今に至っています。
自分の経験が、それを求める人に役立って欲しいから。
それ位、この病気が与えるインパクトは大きく、
その衝撃をどちらの方向へ受け止めるかが重要なのです。
つまり、ピンチかチャンスかです。
私は、「これはチャンスだ!」
と無理やり受け止めることにしました。