すべての人を輝く宝に!自分軸を見出して【人生第三章】を意図して生きる › 2012年09月15日
2012年09月15日
感情の波紋(2011年)
2012年9月15日 感情の波紋(2011年)
2011年8月23日に内視鏡で直腸にガンが発見されてから、
迫ってくるような圧迫感に襲われていました。
迫ってくるものは「恐怖」でした。
「怖い」のです。「逃れたい」のです。
死に近づいていくことが「怖い」
手術が失敗して目覚めないかもしれない、
重い後遺症が残るかもしれない、
しかし、何もしなければ、進行して確実に命を蝕みます。
ところが、ガンは発見されても、
それによると思われる症状が体に現れてないだけに、
どうして後遺症が残る大手術を受ける必要があるのだろう?
と、なかなか飲み込めませんでした。
また、たとえ手術が成功したとしても、
転移があれば生存率は低下します。
「果たして、あとどれだけ生きられるのだろうか・・・」
「後遺症によって、どれだけ生活が制限されるのか?」
「今まで自分は何をしてきたのか?」
「それは本当にやりたいことだったのか?」
「・・・・・」
頭の中に浮かんでくるのは、自分のことばかり。。。
家族への気遣いや心配よりも、
圧倒的に自分自身の限られた時間をどうするかという心配でした。
だから、これまでの自分に180度舵を切って、
とにかく人に会い、
セミナーに参加し、
人の職場へ押しかけ、
カウンセリングを受け、
パーティー・交流会に参加し、
などなど、、行動して自分探しを始めました。
時には帰宅が午前様になるときもありました。
とにかく、「急がなければ!」だったのです。
しかし、病人を抱える家族にとって、
一番体を大切にして欲しい時期に、
好き放題やっている私の行動は理解されるはずがありません。
病気によって収入が絶たれ、路頭に迷うかもしれない。
なのにいったい何をやっているのか!
子ども達の未来をどう考えているのか?
何度も話し合いました。
泣きながら話し合いましたし、
大声を張り上げたりもしました。
子ども達も巻き込んで・・・
今、振り返って考えると、
その時自分がどれだけやりきっていたのか!
ということではないのかと。
モヤッとしたまま生きてきたからではないのか と。
もしも、一日一日を人生最後の日の如く、
精一杯生きていたのなら、やりきっていたのなら、
このような状況に立たされたときに、
もっと自分の外に目を向けることが出来たのではないのかなと。
今はこのように考えています。
明日は、入院して手術台に載るまでを振り返ります。
2011年8月23日に内視鏡で直腸にガンが発見されてから、
迫ってくるような圧迫感に襲われていました。
迫ってくるものは「恐怖」でした。
「怖い」のです。「逃れたい」のです。
死に近づいていくことが「怖い」
手術が失敗して目覚めないかもしれない、
重い後遺症が残るかもしれない、
しかし、何もしなければ、進行して確実に命を蝕みます。
ところが、ガンは発見されても、
それによると思われる症状が体に現れてないだけに、
どうして後遺症が残る大手術を受ける必要があるのだろう?
と、なかなか飲み込めませんでした。
また、たとえ手術が成功したとしても、
転移があれば生存率は低下します。
「果たして、あとどれだけ生きられるのだろうか・・・」
「後遺症によって、どれだけ生活が制限されるのか?」
「今まで自分は何をしてきたのか?」
「それは本当にやりたいことだったのか?」
「・・・・・」
頭の中に浮かんでくるのは、自分のことばかり。。。
家族への気遣いや心配よりも、
圧倒的に自分自身の限られた時間をどうするかという心配でした。
だから、これまでの自分に180度舵を切って、
とにかく人に会い、
セミナーに参加し、
人の職場へ押しかけ、
カウンセリングを受け、
パーティー・交流会に参加し、
などなど、、行動して自分探しを始めました。
時には帰宅が午前様になるときもありました。
とにかく、「急がなければ!」だったのです。
しかし、病人を抱える家族にとって、
一番体を大切にして欲しい時期に、
好き放題やっている私の行動は理解されるはずがありません。
病気によって収入が絶たれ、路頭に迷うかもしれない。
なのにいったい何をやっているのか!
子ども達の未来をどう考えているのか?
何度も話し合いました。
泣きながら話し合いましたし、
大声を張り上げたりもしました。
子ども達も巻き込んで・・・
今、振り返って考えると、
その時自分がどれだけやりきっていたのか!
ということではないのかと。
モヤッとしたまま生きてきたからではないのか と。
もしも、一日一日を人生最後の日の如く、
精一杯生きていたのなら、やりきっていたのなら、
このような状況に立たされたときに、
もっと自分の外に目を向けることが出来たのではないのかなと。
今はこのように考えています。
明日は、入院して手術台に載るまでを振り返ります。