すべての人を輝く宝に!自分軸を見出して【人生第三章】を意図して生きる › 2014年09月
2014年09月30日
【Customer-centric】 昨日の昼礼からはじめたこと
2014/9/30
【Customer-centric】
昨日の昼礼からはじめたこと
私が勤務する会社は
朝礼ではなくて昼礼をしています。
昼礼の後半は
日替わりでメンバーのスピーチが聞ける
楽しいひととき。。。
昨日は私が
「今日のひと言当番」でした。
そこではじめたことがあります。
それは、
フィロソフィーの唱和
全員で声を合わせて唱和することで
より一層の理解と一体感が生まれる。
腑に落ちたメンバーの力が重なり合って
強く大きなベクトルになる!
そう信じたからです。
本日の唱和は、
【Customer-centric】
私たちは、
真にお客様のために存在します。
私たちは、
常にお客さまの一歩先を考え、
お客さまと一緒に問題解決にあたり、
お客さまが本当に必要とされていることを
提供する存在として、
期待を超える感動を、
現在そして将来に届け続けます。
参考動画↓↓↓
http://www.konicaminolta.jp/about/corporate/movie/m_vision.html
いつもありがとう

【Customer-centric】
昨日の昼礼からはじめたこと
私が勤務する会社は
朝礼ではなくて昼礼をしています。
昼礼の後半は
日替わりでメンバーのスピーチが聞ける
楽しいひととき。。。
昨日は私が
「今日のひと言当番」でした。
そこではじめたことがあります。
それは、
フィロソフィーの唱和
全員で声を合わせて唱和することで
より一層の理解と一体感が生まれる。
腑に落ちたメンバーの力が重なり合って
強く大きなベクトルになる!
そう信じたからです。
本日の唱和は、
【Customer-centric】
私たちは、
真にお客様のために存在します。
私たちは、
常にお客さまの一歩先を考え、
お客さまと一緒に問題解決にあたり、
お客さまが本当に必要とされていることを
提供する存在として、
期待を超える感動を、
現在そして将来に届け続けます。
参考動画↓↓↓
http://www.konicaminolta.jp/about/corporate/movie/m_vision.html
いつもありがとう
2014年09月29日
【昼礼で話したこと】 今、目の前のことに打ち込む!
2014/9/29
【昼礼で話したこと】
今、目の前のことに打ち込む!
私が勤務する会社は
朝礼ではなくて昼礼をしています。
昼礼の後半は
日替わりでメンバーのスピーチが聞ける
楽しいひととき。。。
本日は私が
「今日のひと言当番」でした。
今日のひと言は、
御嶽山の噴火から感じた話にしました。
頂上付近には今なお
心配停止状態の方々がおられます。
噴火が起こったとき、
突然過ぎて誰もが何が起こったのか
分からなかったのではないでしょうか。
そして、
あっという間に暗闇にのまれ
灰や噴石が降り注ぎ
熱い硫黄臭に包まれて
恐怖と不安に襲われたのではないかと。
どんな想いだったのか。
死が驚くほどの速度で迫る
恐怖と不安の中で、
何を思ったのか・・・
私は手術をして
明日でちょうど3年を迎えます。
病変は初期の段階だったので、
今こうして生きていられますし、
寿命もそんなに縮んではないと思います。
でも、
病変が見つかった時は焦りました。
どれだけ生きられるのだろうか。
やり残したことは何だろう。
子どもの頃の夢は何だっただろうか。
大工さん?
ガンに侵されれば
ゆっくりでは有りますが死へ近付きます。
その時はじわりとした恐怖と
焦りしか有りませんでした。
あなたはいつ死ぬと思いますか?
寿命は長いと思ってますか?
もし、
明日死ぬとなったらどうでしょう。
人生は意外と短いのです。
私は手術をして、3年が経って
導いた結論が有ります。
それは、
今、目の前のことに集中する。
目の前の仕事に打ち込む。
一つ一つに打ち込むことで
小さな充実感や達成感が得られます。
これを続けていけば
描く夢や未来へ近付いていくでしょう。
日々
目の前のことに打ち込めば
後悔や焦りも生まれてこないでしょう。
災害にあわれた方々は
たいへんお気の毒ですが、
いつあなたに降りかかるか分かりません。
日々
目の前のことに打ち込こむ!
いつもありがとう

【昼礼で話したこと】
今、目の前のことに打ち込む!
私が勤務する会社は
朝礼ではなくて昼礼をしています。
昼礼の後半は
日替わりでメンバーのスピーチが聞ける
楽しいひととき。。。
本日は私が
「今日のひと言当番」でした。
今日のひと言は、
御嶽山の噴火から感じた話にしました。
頂上付近には今なお
心配停止状態の方々がおられます。
噴火が起こったとき、
突然過ぎて誰もが何が起こったのか
分からなかったのではないでしょうか。
そして、
あっという間に暗闇にのまれ
灰や噴石が降り注ぎ
熱い硫黄臭に包まれて
恐怖と不安に襲われたのではないかと。
どんな想いだったのか。
死が驚くほどの速度で迫る
恐怖と不安の中で、
何を思ったのか・・・
私は手術をして
明日でちょうど3年を迎えます。
病変は初期の段階だったので、
今こうして生きていられますし、
寿命もそんなに縮んではないと思います。
でも、
病変が見つかった時は焦りました。
どれだけ生きられるのだろうか。
やり残したことは何だろう。
子どもの頃の夢は何だっただろうか。
大工さん?
ガンに侵されれば
ゆっくりでは有りますが死へ近付きます。
その時はじわりとした恐怖と
焦りしか有りませんでした。
あなたはいつ死ぬと思いますか?
寿命は長いと思ってますか?
もし、
明日死ぬとなったらどうでしょう。
人生は意外と短いのです。
私は手術をして、3年が経って
導いた結論が有ります。
それは、
今、目の前のことに集中する。
目の前の仕事に打ち込む。
一つ一つに打ち込むことで
小さな充実感や達成感が得られます。
これを続けていけば
描く夢や未来へ近付いていくでしょう。
日々
目の前のことに打ち込めば
後悔や焦りも生まれてこないでしょう。
災害にあわれた方々は
たいへんお気の毒ですが、
いつあなたに降りかかるか分かりません。
日々
目の前のことに打ち込こむ!
いつもありがとう

2014年09月28日
【最近かなり妄想してるコト】 これたまらん! Ferrari FF!!
2014/9/28
【最近かなり妄想してるコト】
これたまらん! Ferrari FF!!
とりあえずお時間がある方のみ
目を通していただければいいです。。。
何かの拍子に見つけたのです。
新聞広告からCORNSのホームページへ、
そしてyoutubeで片っ端から。。。
フェラーリもこんな車作ってたんだ!
という驚きの一台。
そんなに車に執着してないので
知らなかったのですが、
衝撃でした!
Ferrari FF

フェラーリのエンジン音は
一歩間違うと下品になってしまう
ギリギリの官能的なサウンド。
4シーターで4輪駆動、
実用性と とんでもないパワー!
そして美しいスタイリング。
ヤバイです。
欲しい。。。
エンジン音に痺れます~♪
パドルでシフトダウンする音なんか
もう最高です。
それで最近、
普段は全く使わないパドルシフトを
不必要に使っている自分・・・(笑)
音質もパワーも全く違うけれど
雰囲気は味わえてる! みたいな。。。
ふぅぅ・・・
次の車検の前に買い換えるかな(笑)
もうファイルに書いちゃったし!
いつもありがとう
【最近かなり妄想してるコト】
これたまらん! Ferrari FF!!
とりあえずお時間がある方のみ
目を通していただければいいです。。。
何かの拍子に見つけたのです。
新聞広告からCORNSのホームページへ、
そしてyoutubeで片っ端から。。。
フェラーリもこんな車作ってたんだ!
という驚きの一台。
そんなに車に執着してないので
知らなかったのですが、
衝撃でした!
Ferrari FF

フェラーリのエンジン音は
一歩間違うと下品になってしまう
ギリギリの官能的なサウンド。
4シーターで4輪駆動、
実用性と とんでもないパワー!
そして美しいスタイリング。
ヤバイです。
欲しい。。。
エンジン音に痺れます~♪
パドルでシフトダウンする音なんか
もう最高です。
それで最近、
普段は全く使わないパドルシフトを
不必要に使っている自分・・・(笑)
音質もパワーも全く違うけれど
雰囲気は味わえてる! みたいな。。。
ふぅぅ・・・
次の車検の前に買い換えるかな(笑)
もうファイルに書いちゃったし!
いつもありがとう
タグ :Ferrari FF
2014年09月27日
【金木犀の咲く道を~♪】 秋空の下でゆっくりゆっくり父と散歩
2014/9/27
【金木犀の咲く道を~♪】
秋空の下でゆっくりゆっくり父と散歩
脳梗塞で失われた脳の組織は
元には戻りません。
しかし残った組織が補完して
ゆっくりゆっくりと
機能が戻っていく。
今日の父はしっかりしていました。
リハビリを終えてから、
どこまでも高い秋空の下、
街並みの中へ出かけてみました。
子ども達が居ない保育園を抜けて
大通りを横切り、
路地に入っていくと、
甘ぁ~い香りに包まれました。
この香りはアノ歌を思い出させます。
「君の瞳は10000ボルト♪」
鳶色の瞳に 誘惑のかげり♪
金木犀の 咲く道を♪


大野の旧道は
昔ながらの面影を残した建物が多く
心休まる場所。
父と言葉を交わしながら
ゆっくりと車椅子を押して行きました。
「ここには同級生がおるだ・・・」
「へぇ~・・・」
ゆっくりと、ゆっくりと、
大野宿の街道を散歩していると
「おい コーラを飲ままいか」
「じゃあ コーラを飲んで休憩しようか」
古い建物の軒先には
当時の屋号が刻まれたベンチがあります。

まだ紅葉には早いですが、
少し色付いたもみじがありました。

帰り道はいつもの様に
徳嶋屋菓子舗さんに寄っておやつを物色。。。

今日は秋の味覚を使ったお菓子を
特別に追加しました。

あぁ、幸せ~♪
いつもありがとう
【金木犀の咲く道を~♪】
秋空の下でゆっくりゆっくり父と散歩
脳梗塞で失われた脳の組織は
元には戻りません。
しかし残った組織が補完して
ゆっくりゆっくりと
機能が戻っていく。
今日の父はしっかりしていました。
リハビリを終えてから、
どこまでも高い秋空の下、
街並みの中へ出かけてみました。
子ども達が居ない保育園を抜けて
大通りを横切り、
路地に入っていくと、
甘ぁ~い香りに包まれました。
この香りはアノ歌を思い出させます。
「君の瞳は10000ボルト♪」
鳶色の瞳に 誘惑のかげり♪
金木犀の 咲く道を♪
大野の旧道は
昔ながらの面影を残した建物が多く
心休まる場所。
父と言葉を交わしながら
ゆっくりと車椅子を押して行きました。
「ここには同級生がおるだ・・・」
「へぇ~・・・」
ゆっくりと、ゆっくりと、
大野宿の街道を散歩していると
「おい コーラを飲ままいか」
「じゃあ コーラを飲んで休憩しようか」
古い建物の軒先には
当時の屋号が刻まれたベンチがあります。
まだ紅葉には早いですが、
少し色付いたもみじがありました。
帰り道はいつもの様に
徳嶋屋菓子舗さんに寄っておやつを物色。。。
今日は秋の味覚を使ったお菓子を
特別に追加しました。
あぁ、幸せ~♪
いつもありがとう
2014年09月26日
【心は違う方向へ】 2011年8月以降の心の変化
2014/9/26
【心は違う方向へ】
2011年8月以降の心の変化
2011年8月はガンが発覚したことで
自分が大きく変化し出した時期でした。
残された時間の短さを憂いで
何かに焦っていました。
自分は何がしたいのか?
何がしたかったのか?
子どもの頃の夢を思い出してみたり
自分の悪い癖を克服したいと思ったり。
SNSで繋がって
実際にも会って繋がりを深めたり。
男女の隔てなく
いろいろな業種の方々とお会いして
いろんなことを教わった。
知識や人脈は広がったが何かが違った。
勘違いしていた。
いろいろあって感じて
一つハッキリしたこと。
それは、
今、
目の前にあることをしっかりやること。
これに勝るものなし!
いつもありがとう

【心は違う方向へ】
2011年8月以降の心の変化
2011年8月はガンが発覚したことで
自分が大きく変化し出した時期でした。
残された時間の短さを憂いで
何かに焦っていました。
自分は何がしたいのか?
何がしたかったのか?
子どもの頃の夢を思い出してみたり
自分の悪い癖を克服したいと思ったり。
SNSで繋がって
実際にも会って繋がりを深めたり。
男女の隔てなく
いろいろな業種の方々とお会いして
いろんなことを教わった。
知識や人脈は広がったが何かが違った。
勘違いしていた。
いろいろあって感じて
一つハッキリしたこと。
それは、
今、
目の前にあることをしっかりやること。
これに勝るものなし!
いつもありがとう
2014年09月25日
【暫くはお腹に響く】 2011年10月15日以降の自宅療養
2014/9/25
【暫くはお腹に響く】
2011年10月15日以降の自宅療養
2011年10月15日に無事退院して
決めたことが一日二回の散歩。
私が入院した病院は
手術の翌日から歩かされた・・・
しかし、この歩くことが
回復の近道になることを実感しました。
だから毎日、
我が家の次女をお供に
30分以上の散歩をしました。

疲れて微熱が出たり、
近くの山に登ってヘトヘトになったり、、、
一時的に疲れても
歩くことで動くことで
確実に回復していきました。
歩くだけでお腹に響いていた振動は
次第に感じなくなりました。
頻繁に通ったトイレの回数も
どんどん少なくなっていきました。
余分な脂肪も落ちて
健康的に(と思っている)痩せました。
退院して二週間後には
息子のDさんを車で
往復40キロ送迎できました。
(頻便や漏れが怖かった・・・)
そして退院して一ヵ月後に
社会復帰を果たしました。
果たしたものの、
暫くは疲れやすくトイレも近く
これからどうなるのか?
などと心配したものです。
体は手術前に戻っていきましたが、
心は全く違う方向へ走り出し
様々な問題が勃発しました。。。
いつもありがとう
【暫くはお腹に響く】
2011年10月15日以降の自宅療養
2011年10月15日に無事退院して
決めたことが一日二回の散歩。
私が入院した病院は
手術の翌日から歩かされた・・・
しかし、この歩くことが
回復の近道になることを実感しました。
だから毎日、
我が家の次女をお供に
30分以上の散歩をしました。
疲れて微熱が出たり、
近くの山に登ってヘトヘトになったり、、、
一時的に疲れても
歩くことで動くことで
確実に回復していきました。
歩くだけでお腹に響いていた振動は
次第に感じなくなりました。
頻繁に通ったトイレの回数も
どんどん少なくなっていきました。
余分な脂肪も落ちて
健康的に(と思っている)痩せました。
退院して二週間後には
息子のDさんを車で
往復40キロ送迎できました。
(頻便や漏れが怖かった・・・)
そして退院して一ヵ月後に
社会復帰を果たしました。
果たしたものの、
暫くは疲れやすくトイレも近く
これからどうなるのか?
などと心配したものです。
体は手術前に戻っていきましたが、
心は全く違う方向へ走り出し
様々な問題が勃発しました。。。
いつもありがとう
2014年09月24日
【次女の調子が悪い】 Aさんオロオロ・・・病院へ
2014/9/24
【次女の調子が悪い】
Aさんオロオロ・・・病院へ
最近次女の調子が悪い。
ブルブル震えて食欲がない。
歩きたがらないし
すぐ座りこんでしまう。
腰の辺りに痛みがあるようで
泣いているようにも見える。
そんな次女を心配して
Aさんの心も不安定になっている。
次女を心配して
家の中はどんよりとした空気に
包まれてしまった。
本日Aさんは仕事のあとに
次女を病院へ連れて行った。
レントゲンの結果、
疑われた椎間板ヘルニアは
無さそうであった。
腹部エコーの結果、
胆のうに胆石の元があるようだ。
原因かどうか分からない…

血液は1項目を除いて問題なし。
歯石がかなりたまっている・・・
結局よく分からず…
痛みが有りそうなので
痛み止めを注射してもらった。
その効果なのか
久しぶりに元気に歩き回る姿が見れた。
Aさんもホッとしたようで、
家の中が明るくなった。
健康第一!
特に家族の健康は!!
いつもありがとう
【次女の調子が悪い】
Aさんオロオロ・・・病院へ
最近次女の調子が悪い。
ブルブル震えて食欲がない。
歩きたがらないし
すぐ座りこんでしまう。
腰の辺りに痛みがあるようで
泣いているようにも見える。
そんな次女を心配して
Aさんの心も不安定になっている。
次女を心配して
家の中はどんよりとした空気に
包まれてしまった。
本日Aさんは仕事のあとに
次女を病院へ連れて行った。
レントゲンの結果、
疑われた椎間板ヘルニアは
無さそうであった。
腹部エコーの結果、
胆のうに胆石の元があるようだ。
原因かどうか分からない…
血液は1項目を除いて問題なし。
歯石がかなりたまっている・・・
結局よく分からず…
痛みが有りそうなので
痛み止めを注射してもらった。
その効果なのか
久しぶりに元気に歩き回る姿が見れた。
Aさんもホッとしたようで、
家の中が明るくなった。
健康第一!
特に家族の健康は!!
いつもありがとう
2014年09月23日
【注意!20年以上前のがん保険】 上皮内新生物は対象外?
2014/9/23
【注意!20年以上前のがん保険】
上皮内新生物は対象外?
約3年前の記事、
「私のガンはガンではない!」
3年前に直腸がんの手術を受ける際
「がん保険に入っていて良かった~」
経済的には
このような安堵感が有りました。
退院後に
がん保険、生命保険、医療保険などの
手続きをはじめたところ
思わぬ結果が待っていました。。。
頼みの綱のがん保険から
<一時金が出ない!>
私は20数年前に
会社の団体扱いでガン保険に入りました。
アフラックの
「スーパーがん保険」です。
当時のがん保険には
「上皮内新生物」はがん保険の対象外と
謳っています。
それを知らなかった。。。
「上皮内新生物」って何??
悪性(がん)であっても
子宮なら上皮内、
大腸(直腸含む)なら粘膜筋板内にあって、
良性新生物と同様の手術で根治するもの。
いわゆる0期のガン(上皮内がん)です。
現在のがん保険は
上皮内がんも補償の範囲になっています。
直腸切除によって排便障害を抱えるから
保険代でトイレを改装しよう!
このように考えていましたが
当てが完全に外れてしまいました。。。
古いガン保険に加入されている方!
※50代前後の方と思われます
念のため保険内容を見直されたほうが
いいと思います。

いつもありがとう
保険比較サイト↓↓↓
【注意!20年以上前のがん保険】
上皮内新生物は対象外?
約3年前の記事、
「私のガンはガンではない!」
3年前に直腸がんの手術を受ける際
「がん保険に入っていて良かった~」
経済的には
このような安堵感が有りました。
退院後に
がん保険、生命保険、医療保険などの
手続きをはじめたところ
思わぬ結果が待っていました。。。
頼みの綱のがん保険から
<一時金が出ない!>
私は20数年前に
会社の団体扱いでガン保険に入りました。
アフラックの
「スーパーがん保険」です。
当時のがん保険には
「上皮内新生物」はがん保険の対象外と
謳っています。
それを知らなかった。。。
「上皮内新生物」って何??
悪性(がん)であっても
子宮なら上皮内、
大腸(直腸含む)なら粘膜筋板内にあって、
良性新生物と同様の手術で根治するもの。
いわゆる0期のガン(上皮内がん)です。
現在のがん保険は
上皮内がんも補償の範囲になっています。
直腸切除によって排便障害を抱えるから
保険代でトイレを改装しよう!
このように考えていましたが
当てが完全に外れてしまいました。。。
古いガン保険に加入されている方!
※50代前後の方と思われます
念のため保険内容を見直されたほうが
いいと思います。

いつもありがとう
保険比較サイト↓↓↓
2014年09月22日
【3年目検診】 先週のCT撮影の結果は?
2014/9/22
【3年目検診】 先週のCT撮影の結果は?
先週の9/16に受けた
採血とCT撮影の結果を聞きに
今朝は病院へ行ってきました。
飛び石連休の中日だからなのか
月曜日なのにごった返し感は
有りませんでした。
スムーズに事が運び
11時には全てを終えて帰宅しました。
採血の結果は問題なし。
CTの結果も所見なし。
3年目は
何事も無く通過できました。
あと2年。
何事も無く通過したいものです。
一つ心配されたのは腸閉塞でした。
昨年は3回!
今年の春先に1回。
4回とも原因箇所は同じでした。
現在は食事などに気をつけて
約半年間は再発していません。
このままこの調子で
腸閉塞から開放されたいなぁ~

処方された腸閉塞を抑える薬
「大建中湯」 594包! 99日分
いつもありがとう
【3年目検診】 先週のCT撮影の結果は?
先週の9/16に受けた
採血とCT撮影の結果を聞きに
今朝は病院へ行ってきました。
飛び石連休の中日だからなのか
月曜日なのにごった返し感は
有りませんでした。
スムーズに事が運び
11時には全てを終えて帰宅しました。
採血の結果は問題なし。
CTの結果も所見なし。
3年目は
何事も無く通過できました。
あと2年。
何事も無く通過したいものです。
一つ心配されたのは腸閉塞でした。
昨年は3回!
今年の春先に1回。
4回とも原因箇所は同じでした。
現在は食事などに気をつけて
約半年間は再発していません。
このままこの調子で
腸閉塞から開放されたいなぁ~
処方された腸閉塞を抑える薬
「大建中湯」 594包! 99日分
いつもありがとう
2014年09月21日
【がんの病理検査結果】 2011年10月15日退院
2014/9/21
【がんの病理検査結果】
2011年10月15日退院
日にち薬は良く効きました。
順調に回復して退院の日を迎えました。
入院して18日目でした。
天気は土砂降り。
激しい風と雨音で、
早々に目覚めてしまいました。
このような悪い天気でしたが、
苦しかった手術後を思えば、
気持ちは快晴でした。
Aさんとともに
担当医から採取された組織の
病理検査結果を聞きました。
クリック ↓↓↓
音声1
クリック ↓↓↓
音声2
説明された内容は以下、
・癌の進行は粘膜に留まっており、
早期がんだ。
・リンパ節転移はなし。
リンパ管、脈管の中にも癌はなし。
・いわゆるステージ0
(音声で先生は間違えて1と言っている)
・1年毎にCT等の検査、半年毎の採血を行う。
・大腸癌の場合、5年間は観察していく。
・通常早期がんは内視鏡で取れるが、
今回切除した理由は、
内視鏡では取りきれない大きさだった。
表面に皺があり進行していると予想された。
・手術からの回復途上なので、
便秘や下痢が繰り返される。
薬を上手に使ってコントロールすればいい。
・腸閉塞が発生する可能性もあるが、
その際はすぐに病院へ来ること。
ステージ0 の早期癌で転移は無く、
早めの手当ての結果
寿命を保つことが出来ました。
退院後は
がん保険、生命保険、医療保険などの
手続きをはじめました。
ところが
思わぬ結果が待っていました。。。
いつもありがとう

退院の日の朝食
【がんの病理検査結果】
2011年10月15日退院
日にち薬は良く効きました。
順調に回復して退院の日を迎えました。
入院して18日目でした。
天気は土砂降り。
激しい風と雨音で、
早々に目覚めてしまいました。
このような悪い天気でしたが、
苦しかった手術後を思えば、
気持ちは快晴でした。
Aさんとともに
担当医から採取された組織の
病理検査結果を聞きました。
クリック ↓↓↓
音声1
クリック ↓↓↓
音声2
説明された内容は以下、
・癌の進行は粘膜に留まっており、
早期がんだ。
・リンパ節転移はなし。
リンパ管、脈管の中にも癌はなし。
・いわゆるステージ0
(音声で先生は間違えて1と言っている)
・1年毎にCT等の検査、半年毎の採血を行う。
・大腸癌の場合、5年間は観察していく。
・通常早期がんは内視鏡で取れるが、
今回切除した理由は、
内視鏡では取りきれない大きさだった。
表面に皺があり進行していると予想された。
・手術からの回復途上なので、
便秘や下痢が繰り返される。
薬を上手に使ってコントロールすればいい。
・腸閉塞が発生する可能性もあるが、
その際はすぐに病院へ来ること。
ステージ0 の早期癌で転移は無く、
早めの手当ての結果
寿命を保つことが出来ました。
退院後は
がん保険、生命保険、医療保険などの
手続きをはじめました。
ところが
思わぬ結果が待っていました。。。
いつもありがとう
退院の日の朝食
2014年09月20日
【朝ランLSD】 フルマラソンの距離を初めて超えた!
2014/9/20
【朝ランLSD】
フルマラソンの距離を初めて超えた!
昨晩からあまりお腹の調子が良くなく
かなりゆるい状況でした。
「明日は5時起きの
5時半出発だからねっ#」
Aさんとの約束は絶対です。
いろいろコースを考えて
自宅から岡崎城往復を選びました。
もし走れなくなっても、
最寄の駅から電車に乗れる安心感からです。
「起きてよっ#」
モーニングの一喝。。。
やはりお腹はゆるいまま・・・
Aさんの用意は周到でした。
出発前の餅(なぜか柏餅)
これは腹持ちが良くて
じんわりとエネルギーになります。
そしてエネルギー補給用の
ゼリーと補助食品

更に携帯用のエアーサロンパス!
ほぼ定刻に出発しました。
できるだけゆっくりと景色を楽しむために
車が多い1号線を避けて
旧東海道を走りました。
御油→赤坂→本宿→藤川→岡崎
往路の御油宿から岡崎城までは
会話をする余裕がありました。

藤川宿の松並木
往路目的地の岡崎城でトイレピットイン!
「お城と一緒に写真撮ろうか?」
「はぁ? 行くよっ#」
「・・・ 」
ゼリーでエネルギーチャージして
即出発!
仕方ないので
街中の面白自販機を撮影・・・

オカザえもんの隣の子は
お子様かそれとも恋人かはたまた妹か?
そんなことを考えながら
走っていました(笑)
しかし、
復路はどんどんしんどさが増して
無口・・・
実は私もAさんも
フルマラソンの距離体験は今回初で
後半の30キロ辺りからの洗礼を受けました。
足が重い、重い、重い、、、
私は足首付近に
Aさんは膝に疲労が集中して
本宿の峠を越えて下りで楽なはずでしたが
上りの感覚・・・
なんとか走り切った達成感は
想像以上で自信になりました。
11月30日の本番に向かって
更にコツコツです!
いつもありがとう

【朝ランLSD】
フルマラソンの距離を初めて超えた!
昨晩からあまりお腹の調子が良くなく
かなりゆるい状況でした。
「明日は5時起きの
5時半出発だからねっ#」
Aさんとの約束は絶対です。
いろいろコースを考えて
自宅から岡崎城往復を選びました。
もし走れなくなっても、
最寄の駅から電車に乗れる安心感からです。
「起きてよっ#」
モーニングの一喝。。。
やはりお腹はゆるいまま・・・
Aさんの用意は周到でした。
出発前の餅(なぜか柏餅)
これは腹持ちが良くて
じんわりとエネルギーになります。
そしてエネルギー補給用の
ゼリーと補助食品

更に携帯用のエアーサロンパス!
ほぼ定刻に出発しました。
できるだけゆっくりと景色を楽しむために
車が多い1号線を避けて
旧東海道を走りました。
御油→赤坂→本宿→藤川→岡崎
往路の御油宿から岡崎城までは
会話をする余裕がありました。
藤川宿の松並木
往路目的地の岡崎城でトイレピットイン!
「お城と一緒に写真撮ろうか?」
「はぁ? 行くよっ#」
「・・・ 」
ゼリーでエネルギーチャージして
即出発!
仕方ないので
街中の面白自販機を撮影・・・
オカザえもんの隣の子は
お子様かそれとも恋人かはたまた妹か?
そんなことを考えながら
走っていました(笑)
しかし、
復路はどんどんしんどさが増して
無口・・・
実は私もAさんも
フルマラソンの距離体験は今回初で
後半の30キロ辺りからの洗礼を受けました。
足が重い、重い、重い、、、
私は足首付近に
Aさんは膝に疲労が集中して
本宿の峠を越えて下りで楽なはずでしたが
上りの感覚・・・
なんとか走り切った達成感は
想像以上で自信になりました。
11月30日の本番に向かって
更にコツコツです!
いつもありがとう

2014年09月19日
【日にち薬だからね~♪】 2011年10月6日~ 回復へ向かう
2014/9/19
【日にち薬だからね~♪】
2011年10月6日~ 回復へ向かう
2011年9月30日に
「低位前方切除術」によって
直腸がんを切除しました。
その後、
順調に回復したように見えましたが、
術後5日目に体調を崩して
振り出しに戻りました。
幸いなコトに
悪化することなく回復に向かい
術後10日目には食事が再開されました。
この間、看護師から
はじめての言葉を聞かされました。
「日にち薬」
「日にち薬だからね~♪」
こんな風によくこの言葉を
かけていただきました。
この言葉の意味は、
日一日と回復するから
一日一日が薬のようなもの、ということ。
入院中はこのことを本当に実感しました。
少しニュアンスは違いますが、
「時間が解決する」
という言葉も
ほぼ同じ意味です。
こちらは少しネガティブな出来事を
時間とともに忘れる感じです。
「日にち薬」の方が
なんとなくポジティブ感があって
自分としては好感が持てます。
辛いことや悲しいことがあっても
「日にち薬だからね~♪」
いつもありがとう

【日にち薬だからね~♪】
2011年10月6日~ 回復へ向かう
2011年9月30日に
「低位前方切除術」によって
直腸がんを切除しました。
その後、
順調に回復したように見えましたが、
術後5日目に体調を崩して
振り出しに戻りました。
幸いなコトに
悪化することなく回復に向かい
術後10日目には食事が再開されました。
この間、看護師から
はじめての言葉を聞かされました。
「日にち薬」
「日にち薬だからね~♪」
こんな風によくこの言葉を
かけていただきました。
この言葉の意味は、
日一日と回復するから
一日一日が薬のようなもの、ということ。
入院中はこのことを本当に実感しました。
少しニュアンスは違いますが、
「時間が解決する」
という言葉も
ほぼ同じ意味です。
こちらは少しネガティブな出来事を
時間とともに忘れる感じです。
「日にち薬」の方が
なんとなくポジティブ感があって
自分としては好感が持てます。
辛いことや悲しいことがあっても
「日にち薬だからね~♪」
いつもありがとう
2014年09月18日
【低位前方切除術】 2011年9月30日の術名
2014/9/18
【低位前方切除術】
2011年9月30日の術名
術後5日で突然崩れた体調の原因は
何だったのでしょうか?
2011年9月30日に受けた
直腸がんを切除する手術の術名は
「低位前方切除術」
腹膜反転部の下(低位)から
直腸を切り離すために
肛門とは逆のお腹側(前方)から
手術を行う術式です。

直腸は狭い骨盤の奥底にあるので
そこに出来たガンを切除するには
お腹を大きく切り開いて
直腸を覆う臓物を一旦外へ出してから
切り取らなければなりません。
このとき体には
相当な負担がかかると推測されます。
私の場合は腸の長さが人より短く
患部を切除して吻合する際に
血管を幾つか切って再度繋ぐ等
大変苦労されたと聞きました。
このようなことは
開けてはじめて分かるため
手術の時間が予定より遅れました。
直腸は腹膜反転部より下で切断して
吻合しますが、
骨盤の奥底の狭いところなので
手で吻合する事は極めて困難です。
そこで自動吻合器という
器械を用います。
簡単にいうと肛門から挿入して
腸と腸をホッチキスで繋ぐ器械です。



この器械が発明されていなかった頃は
直腸がんは全て人口肛門になっていた
とのこと。
肛門が温存できたのは
自動吻合器様のおかげです。。。
このように、
6時間半に及んだ手術は
かなり体に負担を与えるものでした。
(本人は麻酔で何も分からない…)
これが、
術後の体調悪化の一因かもしれません。
いつもありがとう
【低位前方切除術】
2011年9月30日の術名
術後5日で突然崩れた体調の原因は
何だったのでしょうか?
2011年9月30日に受けた
直腸がんを切除する手術の術名は
「低位前方切除術」
腹膜反転部の下(低位)から
直腸を切り離すために
肛門とは逆のお腹側(前方)から
手術を行う術式です。

直腸は狭い骨盤の奥底にあるので
そこに出来たガンを切除するには
お腹を大きく切り開いて
直腸を覆う臓物を一旦外へ出してから
切り取らなければなりません。
このとき体には
相当な負担がかかると推測されます。
私の場合は腸の長さが人より短く
患部を切除して吻合する際に
血管を幾つか切って再度繋ぐ等
大変苦労されたと聞きました。
このようなことは
開けてはじめて分かるため
手術の時間が予定より遅れました。
直腸は腹膜反転部より下で切断して
吻合しますが、
骨盤の奥底の狭いところなので
手で吻合する事は極めて困難です。
そこで自動吻合器という
器械を用います。
簡単にいうと肛門から挿入して
腸と腸をホッチキスで繋ぐ器械です。



この器械が発明されていなかった頃は
直腸がんは全て人口肛門になっていた
とのこと。
肛門が温存できたのは
自動吻合器様のおかげです。。。
このように、
6時間半に及んだ手術は
かなり体に負担を与えるものでした。
(本人は麻酔で何も分からない…)
これが、
術後の体調悪化の一因かもしれません。
いつもありがとう
2014年09月17日
【断食、点滴再開】 2011年10月6~9日
2014/9/17
【断食、点滴再開】
2011年10月6~9日
2011年10月5日の午後から
容態が急変しました。
体温は37.5度と微熱程度でしたが、
体が言うことをききませんでした。
腹痛も酷く
せっかく五分粥まできたのに、
断食となって点滴が開始されました。

詳しく原因を探るために、
2011年10月6日は
CTでお腹の撮影をしました。
CTの結果は、
「手術箇所から少し離れたところに
何らかの溜りが認められる」
ということでした。
溜りに膿があるかもしれないとのことで、
暫くは抗生剤投与、絶食で
様子をみていくとになりました。
結局、点滴+抗生剤投与が
2011年10月9日まで続きました。
なぜこのような事態に
なってしまったのでしょうか?
今回の直腸がん切除手術は
かなり大掛かりな手術でした。
大掛かりゆえに体に大きな負担がかかって、
その歪が表面化したのかもしれません。
手術の名前は、低位前方切除術。
これはどのような手術だったのか?
次回以降で
詳しく説明したいと思います。
いつもありがとう
【断食、点滴再開】
2011年10月6~9日
2011年10月5日の午後から
容態が急変しました。
体温は37.5度と微熱程度でしたが、
体が言うことをききませんでした。
腹痛も酷く
せっかく五分粥まできたのに、
断食となって点滴が開始されました。
詳しく原因を探るために、
2011年10月6日は
CTでお腹の撮影をしました。
CTの結果は、
「手術箇所から少し離れたところに
何らかの溜りが認められる」
ということでした。
溜りに膿があるかもしれないとのことで、
暫くは抗生剤投与、絶食で
様子をみていくとになりました。
結局、点滴+抗生剤投与が
2011年10月9日まで続きました。
なぜこのような事態に
なってしまったのでしょうか?
今回の直腸がん切除手術は
かなり大掛かりな手術でした。
大掛かりゆえに体に大きな負担がかかって、
その歪が表面化したのかもしれません。
手術の名前は、低位前方切除術。
これはどのような手術だったのか?
次回以降で
詳しく説明したいと思います。
いつもありがとう
2014年09月16日
【3年目検診のCT撮影】 来週の検診準備
2014/9/16
【3年目検診のCT撮影】
来週の検診準備
本日は振り返りを中断して、
今日の出来事を・・・
直腸ガンは術後5年を目処に
病院は患者を追いかけていきます。
今日は3年目検診を来週に控えて
そのための採血とCTを撮ってきました。

採血は血を少し抜くだけなので、
体調への影響はありません。
問題はCTです。
CTは体の断層画像を撮る装置ですが、
断層をより鮮明に撮るために
造影剤が注射されます。
これが毎回気持ち悪い。。。
腕の静脈に太目の針が刺されて、
CT撮影の台に横たわった状態で
造影剤が注入されます。
それも、注入器で約100ccを
一気に入れられます。
更に造影剤の影響で、
体がカァ~っと熱くなります。
体に悪い(良いはずが無い)薬が
入っていると思うと、
気分が悪くなりました。
また、撮影の3時間前から絶食のため、
空腹も手伝って不健感満載でした。
造影剤が注入される前に1回、
注入されて直ぐに1回撮影されて、
CTは終了しました。
本日の支払いは約1万円(3割負担)
気分が悪くなったため
一旦帰宅して体を休めてから出社しました。
(検査で病気になってしまうかも・・・)
来週の受診で
何も無い良い結果が出ることを望む!
いつもありがとう
【3年目検診のCT撮影】
来週の検診準備
本日は振り返りを中断して、
今日の出来事を・・・
直腸ガンは術後5年を目処に
病院は患者を追いかけていきます。
今日は3年目検診を来週に控えて
そのための採血とCTを撮ってきました。
採血は血を少し抜くだけなので、
体調への影響はありません。
問題はCTです。
CTは体の断層画像を撮る装置ですが、
断層をより鮮明に撮るために
造影剤が注射されます。
これが毎回気持ち悪い。。。
腕の静脈に太目の針が刺されて、
CT撮影の台に横たわった状態で
造影剤が注入されます。
それも、注入器で約100ccを
一気に入れられます。
更に造影剤の影響で、
体がカァ~っと熱くなります。
体に悪い(良いはずが無い)薬が
入っていると思うと、
気分が悪くなりました。
また、撮影の3時間前から絶食のため、
空腹も手伝って不健感満載でした。
造影剤が注入される前に1回、
注入されて直ぐに1回撮影されて、
CTは終了しました。
本日の支払いは約1万円(3割負担)
気分が悪くなったため
一旦帰宅して体を休めてから出社しました。
(検査で病気になってしまうかも・・・)
来週の受診で
何も無い良い結果が出ることを望む!
いつもありがとう
2014年09月15日
【術後の経過は順調に見えたが・・・】 2011年10月1~5日
2014/9/15
【術後の経過は順調に見えたが・・・】
2011年10月1~5日
手術の翌日から歩行訓練が始まりました。
最初は非常に辛く
思い通りにならない体に落胆しました。
しかし、2回目以降は
みるみる回復するのが実感できました。
「歩くこと、動くことで、
体中の巡りが良くなっている。
このまま行けば
早く退院できそうだ・・・」
そう信じていました。
2日目
飲水が許されました。
しかし、強烈な痛みは依然とあって、
物音や喋り声が響く状態でした。
娘のCさんの見舞いに喜びは有りましたが
ハイテンションの喋りが体に響き
正直なところズキズキきてました。
3日目
看護師と実習生で洗髪をしてくれました。
おかげ様ですっきり。
しかし、洗髪だけで体力が消耗してしまい
横にならないと体がもたない・・・
この日はガス開通!
腸が本来の働きに戻りつつあって
アノ音がこんない嬉しく思えるのは
普段の生活ではありません。
順調に回復していきました。
4日目
待ちに待った食事が開始されました。
と言ってもお交じり程度・・・
体はどんどん回復していて
ちょっと調子に乗り始めていました。
5日目
待ちに待ったお通じが有りました!
食事も5分粥になって
固形物のおかずも出てきました。
点滴は外れて
背中の硬膜外麻酔のチューブも外れ
自由度が増しました。
Aさんに手伝ってもらい
2回目の洗髪をしました。
身軽になったので屋上を散歩しました。
この時、お腹に鈍い痛みを感じていました。
昼食を終えて横になっていると
細かな痛みが体のあちこちから出だしました。
「一過性のものかな・・・」
実習生が足湯をしてくれた後に
おやつが出ました。

これを食べた後に
急激に下腹部の痛みが襲ってきました。
体温は37.5度。
微熱ですが体が言う事を聞きません。
ナースコールをして
痛み止めと、睡眠剤を服用しましたが、
痛みが酷く眠ったのかどうなのか・・・
つづく
いつもありがとう
【術後の経過は順調に見えたが・・・】
2011年10月1~5日
手術の翌日から歩行訓練が始まりました。
最初は非常に辛く
思い通りにならない体に落胆しました。
しかし、2回目以降は
みるみる回復するのが実感できました。
「歩くこと、動くことで、
体中の巡りが良くなっている。
このまま行けば
早く退院できそうだ・・・」
そう信じていました。
2日目
飲水が許されました。
しかし、強烈な痛みは依然とあって、
物音や喋り声が響く状態でした。
娘のCさんの見舞いに喜びは有りましたが
ハイテンションの喋りが体に響き
正直なところズキズキきてました。
3日目
看護師と実習生で洗髪をしてくれました。
おかげ様ですっきり。
しかし、洗髪だけで体力が消耗してしまい
横にならないと体がもたない・・・
この日はガス開通!
腸が本来の働きに戻りつつあって
アノ音がこんない嬉しく思えるのは
普段の生活ではありません。
順調に回復していきました。
4日目
待ちに待った食事が開始されました。
と言ってもお交じり程度・・・
体はどんどん回復していて
ちょっと調子に乗り始めていました。
5日目
待ちに待ったお通じが有りました!
食事も5分粥になって
固形物のおかずも出てきました。
点滴は外れて
背中の硬膜外麻酔のチューブも外れ
自由度が増しました。
Aさんに手伝ってもらい
2回目の洗髪をしました。
身軽になったので屋上を散歩しました。
この時、お腹に鈍い痛みを感じていました。
昼食を終えて横になっていると
細かな痛みが体のあちこちから出だしました。
「一過性のものかな・・・」
実習生が足湯をしてくれた後に
おやつが出ました。
これを食べた後に
急激に下腹部の痛みが襲ってきました。
体温は37.5度。
微熱ですが体が言う事を聞きません。
ナースコールをして
痛み止めと、睡眠剤を服用しましたが、
痛みが酷く眠ったのかどうなのか・・・
つづく
いつもありがとう
2014年09月14日
【手術の翌日から歩行訓練!】 2011年10月1日
2014/9/14
【手術の翌日から歩行訓練!】
2011年10月1日
入院した9月28日は
様々な説明が有りました。
その中で一番驚いたのが
翌日の歩行訓練。。。
歩行が回復を早めることは
ガン経験者の同僚から聞いてはいました
しかし、傷口が塞がっていないであろう
手術の翌日から歩行訓練があるとは
夢にも思っていませんでした。
「傷口がパックリ開いて
何か出てきたらどうしよう・・・」
考えただけで
恐ろしくなりました。
痛みで悶え苦しみ、
寝たかどうかも分からない夜を越えて
少しは落ち着いた翌日。
下腹部に4箇所あった耐え切れない痛みは
1箇所に減っていました。
しかしこれも鎮痛剤頼みの状態で、
薬が切れれば激痛が襲ってくる状態でした。
10時45分、
かわいらしい女性の看護師がやってきて、
「丸地さん、歩く訓練をするかねぇ」
「・・・・」
体を動かすとお腹はとびきり痛く
本当に歩けるのか???
自力では起き上がれないので、
寝ているベッドを徐々に起こしていきました。
30度、45度、、、
傷口付近から悲鳴が上がりはじめました。
ほぼ90度に上げてから、
補助してもらいながら
足をベッドの横へ出しました。
痛みがズキズキくる中では
全ての動きがスローモーションでした。
両足が床に着くと
ゆっくりと点滴棒の取っ手に体重をあずけ、
前かがみになって腰を浮かすことができました。
腰が引けた状態ながら、
一歩、一歩、足を交互に前へ運びました。
しかし、全く思い通りになりません。
それでも、病室の扉を開けて
廊下へ歩み出てみました。
深く息を吸って、
吐いてを繰り返し、
目標のトイレまで往復できるか!
「行ってみるか」
しかし5メートルほど進んで
息が荒くなりました。

半分程度でいやな汗が滲んできて、
そこで引き返しを決断。
初めての歩行後は痛みが出だし、
痛み止めの点滴を追加しました。
その後、うつろうつろと眠りに付き、
目覚めると明らかに体調が良くなっていました!
午後5時30分、2回目の歩行を行いました。
朝に比べれば格段に歩きやすく、
前屈みでゆっくりではありましたが、
確実に距離が伸びました。
病棟の端から端まで
往復できるまでに回復していました。
歩くこと、動くことで、
体中の巡りが良くなっている感覚も
実感できました。
「このまま行けば
早く退院できそうだ・・・」
そう信じていました。
つづく
いつもありがとう
【手術の翌日から歩行訓練!】
2011年10月1日
入院した9月28日は
様々な説明が有りました。
その中で一番驚いたのが
翌日の歩行訓練。。。
歩行が回復を早めることは
ガン経験者の同僚から聞いてはいました
しかし、傷口が塞がっていないであろう
手術の翌日から歩行訓練があるとは
夢にも思っていませんでした。
「傷口がパックリ開いて
何か出てきたらどうしよう・・・」
考えただけで
恐ろしくなりました。
痛みで悶え苦しみ、
寝たかどうかも分からない夜を越えて
少しは落ち着いた翌日。
下腹部に4箇所あった耐え切れない痛みは
1箇所に減っていました。
しかしこれも鎮痛剤頼みの状態で、
薬が切れれば激痛が襲ってくる状態でした。
10時45分、
かわいらしい女性の看護師がやってきて、
「丸地さん、歩く訓練をするかねぇ」
「・・・・」
体を動かすとお腹はとびきり痛く
本当に歩けるのか???
自力では起き上がれないので、
寝ているベッドを徐々に起こしていきました。
30度、45度、、、
傷口付近から悲鳴が上がりはじめました。
ほぼ90度に上げてから、
補助してもらいながら
足をベッドの横へ出しました。
痛みがズキズキくる中では
全ての動きがスローモーションでした。
両足が床に着くと
ゆっくりと点滴棒の取っ手に体重をあずけ、
前かがみになって腰を浮かすことができました。
腰が引けた状態ながら、
一歩、一歩、足を交互に前へ運びました。
しかし、全く思い通りになりません。
それでも、病室の扉を開けて
廊下へ歩み出てみました。
深く息を吸って、
吐いてを繰り返し、
目標のトイレまで往復できるか!
「行ってみるか」
しかし5メートルほど進んで
息が荒くなりました。
半分程度でいやな汗が滲んできて、
そこで引き返しを決断。
初めての歩行後は痛みが出だし、
痛み止めの点滴を追加しました。
その後、うつろうつろと眠りに付き、
目覚めると明らかに体調が良くなっていました!
午後5時30分、2回目の歩行を行いました。
朝に比べれば格段に歩きやすく、
前屈みでゆっくりではありましたが、
確実に距離が伸びました。
病棟の端から端まで
往復できるまでに回復していました。
歩くこと、動くことで、
体中の巡りが良くなっている感覚も
実感できました。
「このまま行けば
早く退院できそうだ・・・」
そう信じていました。
つづく
いつもありがとう
2014年09月13日
【目覚めると病室だった・・】 2011年9月30日
2014/9/13
【目覚めると病室だった・・】
2011年9月30日
「名前を呼びますので答えてください」
麻酔医に言われ、
1回目を返答しましたが
それ以降の記憶がありません。
目が覚めたのは、
病室のベッドの上でした。。。
お腹の痛みは
それほど感じませんでした。
その代わりに
両腕の肘が猛烈に痛みました。
そして、
とにかく寒くて震えていました。
手術は開始から終了まで約6時間半。
その間腕が固定され、
裸で横たわっていれば
関節は固まり、
体温は奪われてしまったのでしょう。
鼻から胃管が挿入されて
且つ酸素マスクがあてがわれ、
心電図プローブと硬膜外麻酔のチューブ、
点滴と尿管、酸素濃度計、
腹からはドレインチューブが突き出て
余分な体液を吸い出していました。

覚醒してくると、
次第に激しい痛みが襲ってきました。
痛みには強い方だと思っていましたが、
我慢しきれない痛みはこれが初めてで
呻きながら悶え苦しみました。
鎮痛剤を入れると落ち着くのですが
すぐに切れて痛み出しました。
その晩は眠れぬ夜を過ごし、
Aさんはずっと傍らで看病してくれました。
激しい痛みは翌日には幾分やわらぎました。
まだ傷口が塞がっていない次の日から
体を動かす過酷な訓練が始まりました。
いつもありがとう
【目覚めると病室だった・・】
2011年9月30日
「名前を呼びますので答えてください」
麻酔医に言われ、
1回目を返答しましたが
それ以降の記憶がありません。
目が覚めたのは、
病室のベッドの上でした。。。
お腹の痛みは
それほど感じませんでした。
その代わりに
両腕の肘が猛烈に痛みました。
そして、
とにかく寒くて震えていました。
手術は開始から終了まで約6時間半。
その間腕が固定され、
裸で横たわっていれば
関節は固まり、
体温は奪われてしまったのでしょう。
鼻から胃管が挿入されて
且つ酸素マスクがあてがわれ、
心電図プローブと硬膜外麻酔のチューブ、
点滴と尿管、酸素濃度計、
腹からはドレインチューブが突き出て
余分な体液を吸い出していました。
覚醒してくると、
次第に激しい痛みが襲ってきました。
痛みには強い方だと思っていましたが、
我慢しきれない痛みはこれが初めてで
呻きながら悶え苦しみました。
鎮痛剤を入れると落ち着くのですが
すぐに切れて痛み出しました。
その晩は眠れぬ夜を過ごし、
Aさんはずっと傍らで看病してくれました。
激しい痛みは翌日には幾分やわらぎました。
まだ傷口が塞がっていない次の日から
体を動かす過酷な訓練が始まりました。
いつもありがとう
2014年09月12日
【義足の看護師にかけられた魔法】 2011年9月30日
2014/9/12
【義足の看護師にかけられた魔法】
2011年9月30日
2011年9月28日AM
Aさん運転で病院へ。。。
そして入院。
明後日の手術へ向けて
様々な説明がありました。
ちょうど研修の時期と重なったのでしょう、
私には看護師研修の学生が付くと
説明がありました。
イメージ先行で
内心ワクワクしました。
「この方です。どうぞ~♪」
看護師が病室へ招き入れた研修生は
「男」(@_@)!
イメージとは恐ろしいものです。
現実と想像との大きなギャップに
何が何だかサッパリ分かりませんでした。。
必死で平静を装いましたが。。。
いろいろお話を伺うと、
ご自身は精神科のある病院で
准看護師として勤めていること。
ステップアップのために
看護師を目指していること。
オートバイの怪我で
片足が義足であること。
(今でもハーレーに乗っている!)
目的意識の高い立派な方だ!
イメージ先行でがっかりした自分を
恥じました。。。
2011年9月30日の午前9時前、
車椅子に座った私は
手術室の前でAさん、両親と別れ
看護師に押されて中へ入って行きました。

ここからは手術する人とされる人しか
入れない特別な領域だと思うと
緊張感が増してきました。
中の扉が開くと
笑顔の実習生が待っていてくれました。
少しホッとしたのを覚えています。
ガチガチに緊張した私は
実習生に押されて
自分の手術室へ通されました。
明るく清潔で広々とした部屋の中央に
手術台がありました。
手術台は意外と狭く、
肩幅程度しか有りませんでした。
手術台の上には
キラキラした反射鏡の大きな照明。
手術台に上がってまず行ったことは、
硬膜外麻酔のために
背骨へ極細チューブを挿入する作業でした。
「痛くないのか? 大丈夫か?」
手術台の上で横向きになり、
膝を抱える姿勢を指示されました。
チューブを入れるための麻酔注射が打たれ、
細いチューブが挿入されました。
心配していた痛みはありませんでした。
左手人差し指へ何やら器具を装着して、
いよいよ次は全身麻酔です。
手術台に仰向けになり、
両腕が固定されました。
この時の緊張と不安と恐怖感は
これまで味わったことが無いものでした。
その時
実習生が両手でそっと私の左手を包んで
微笑みながら私の目を見て言いました。
「僕は今日一日
ここで見守っていますので、
安心していてくださいね」
左手に温かさを感じながら
その言葉を聞いた瞬間、
私の緊張はスーッと和らいで
ふわっとした温かさに全身が包まれました。
優しい言葉と微笑みと人肌の温もりが、
こんなにも安心感を与えるのか。
まるで魔法にかけられたようでした。
「名前を呼びますので答えてください」
麻酔医に言われ、
1回目を返答しましたが
それ以降の記憶がありません。
目が覚めたのは、
病室のベッドの上でした。。。
いつもありがとう
【義足の看護師にかけられた魔法】
2011年9月30日
2011年9月28日AM
Aさん運転で病院へ。。。
そして入院。
明後日の手術へ向けて
様々な説明がありました。
ちょうど研修の時期と重なったのでしょう、
私には看護師研修の学生が付くと
説明がありました。
イメージ先行で
内心ワクワクしました。
「この方です。どうぞ~♪」
看護師が病室へ招き入れた研修生は
「男」(@_@)!
イメージとは恐ろしいものです。
現実と想像との大きなギャップに
何が何だかサッパリ分かりませんでした。。
必死で平静を装いましたが。。。
いろいろお話を伺うと、
ご自身は精神科のある病院で
准看護師として勤めていること。
ステップアップのために
看護師を目指していること。
オートバイの怪我で
片足が義足であること。
(今でもハーレーに乗っている!)
目的意識の高い立派な方だ!
イメージ先行でがっかりした自分を
恥じました。。。
2011年9月30日の午前9時前、
車椅子に座った私は
手術室の前でAさん、両親と別れ
看護師に押されて中へ入って行きました。
ここからは手術する人とされる人しか
入れない特別な領域だと思うと
緊張感が増してきました。
中の扉が開くと
笑顔の実習生が待っていてくれました。
少しホッとしたのを覚えています。
ガチガチに緊張した私は
実習生に押されて
自分の手術室へ通されました。
明るく清潔で広々とした部屋の中央に
手術台がありました。
手術台は意外と狭く、
肩幅程度しか有りませんでした。
手術台の上には
キラキラした反射鏡の大きな照明。
手術台に上がってまず行ったことは、
硬膜外麻酔のために
背骨へ極細チューブを挿入する作業でした。
「痛くないのか? 大丈夫か?」
手術台の上で横向きになり、
膝を抱える姿勢を指示されました。
チューブを入れるための麻酔注射が打たれ、
細いチューブが挿入されました。
心配していた痛みはありませんでした。
左手人差し指へ何やら器具を装着して、
いよいよ次は全身麻酔です。
手術台に仰向けになり、
両腕が固定されました。
この時の緊張と不安と恐怖感は
これまで味わったことが無いものでした。
その時
実習生が両手でそっと私の左手を包んで
微笑みながら私の目を見て言いました。
「僕は今日一日
ここで見守っていますので、
安心していてくださいね」
左手に温かさを感じながら
その言葉を聞いた瞬間、
私の緊張はスーッと和らいで
ふわっとした温かさに全身が包まれました。
優しい言葉と微笑みと人肌の温もりが、
こんなにも安心感を与えるのか。
まるで魔法にかけられたようでした。
「名前を呼びますので答えてください」
麻酔医に言われ、
1回目を返答しましたが
それ以降の記憶がありません。
目が覚めたのは、
病室のベッドの上でした。。。
いつもありがとう
2014年09月11日
【遂に入院! もの凄い違和感】 2011年9月28日
2014/9/11
【遂に入院! もの凄い違和感】
2011年9月28日
泣いても笑っても時間は経過して
遂にその日がやってきました。
2011年9月28日AM
Aさん運転で病院へ。。。
何も症状が出ているわけでは無いので
入院すること自体が違和感満載でした。
更に、
すぐにパジャマへ着替えなさいと
優しい看護師からの指令!
パジャマとスリッパ・・・
病人になったようで大きな場違い感。
実際は直腸にガンが出来ているので
正真正銘の病人なのですが。。。
明後日の手術へ向けて
着々と準備が進められました。
嬉しかったのは
家族や友人の訪問でした。
やはり心細くなっていきますし
手術への不安や恐怖は拭いきれません。
そんな気持ちを和らげてくれたのは、
人とのふれあい。
人のぬくもり。
これに勝るものなし!
不安や恐怖を
減らすことができる唯一のモノは
人のあたたかさなんだなと。
そして更に、
入院から手術、療養の間、
私には看護師の研修生が付いてくれました。
(男性でしたが・・・)
この方のある行動が
魔法の様に一瞬にして
私の緊張をほぐしてくれたのです・・・
つづく
いつもありがとう

弟の訪問は嬉しかったなぁ~
ホンマ天津木村に似てるわ(笑)
【遂に入院! もの凄い違和感】
2011年9月28日
泣いても笑っても時間は経過して
遂にその日がやってきました。
2011年9月28日AM
Aさん運転で病院へ。。。
何も症状が出ているわけでは無いので
入院すること自体が違和感満載でした。
更に、
すぐにパジャマへ着替えなさいと
優しい看護師からの指令!
パジャマとスリッパ・・・
病人になったようで大きな場違い感。
実際は直腸にガンが出来ているので
正真正銘の病人なのですが。。。
明後日の手術へ向けて
着々と準備が進められました。
嬉しかったのは
家族や友人の訪問でした。
やはり心細くなっていきますし
手術への不安や恐怖は拭いきれません。
そんな気持ちを和らげてくれたのは、
人とのふれあい。
人のぬくもり。
これに勝るものなし!
不安や恐怖を
減らすことができる唯一のモノは
人のあたたかさなんだなと。
そして更に、
入院から手術、療養の間、
私には看護師の研修生が付いてくれました。
(男性でしたが・・・)
この方のある行動が
魔法の様に一瞬にして
私の緊張をほぐしてくれたのです・・・
つづく
いつもありがとう

弟の訪問は嬉しかったなぁ~
ホンマ天津木村に似てるわ(笑)