すべての人を輝く宝に!自分軸を見出して【人生第三章】を意図して生きる › 2014年09月
2014年09月10日
【手術の実感湧かず なぜ?】 2011年9月下旬
2014/9/10
【手術の実感湧かず なぜ?】 2011年9月下旬
2011年8月31日に
告知された直腸ガンは
2011年9月30日に
切除することになりました。
発見から1か月と1週間。
正に怒涛のような日々でした。
2011年9月15日に外科受診で
手術の日程を決定したにも関わらす、
その後、
いろいろな思いが
グルグルと巡っていました。
当時のブログに綴られています。
http://nmarugt3924.dosugoi.net/e249309.html
ガンによる症状が何も出ていないのに
大きな手術を受けなければならない。
その手術によって
確実に副作用が出てしまう。
そのことに
矛盾のような感覚が有りました。
何か悔しい気持ちがありました。
正直なところ手術の当日まで
モヤモヤとした気持ちが有りました。
入院前夜の夕食は
Aさん特製のトンカツでした。
病気に勝つ!
そんな心遣いが無性に嬉しかった・・・

いつもありがとう
【手術の実感湧かず なぜ?】 2011年9月下旬
2011年8月31日に
告知された直腸ガンは
2011年9月30日に
切除することになりました。
発見から1か月と1週間。
正に怒涛のような日々でした。
2011年9月15日に外科受診で
手術の日程を決定したにも関わらす、
その後、
いろいろな思いが
グルグルと巡っていました。
当時のブログに綴られています。
http://nmarugt3924.dosugoi.net/e249309.html
ガンによる症状が何も出ていないのに
大きな手術を受けなければならない。
その手術によって
確実に副作用が出てしまう。
そのことに
矛盾のような感覚が有りました。
何か悔しい気持ちがありました。
正直なところ手術の当日まで
モヤモヤとした気持ちが有りました。
入院前夜の夕食は
Aさん特製のトンカツでした。
病気に勝つ!
そんな心遣いが無性に嬉しかった・・・
いつもありがとう
2014年09月09日
【更に不安が高まった外科受診】 2011年9月15日
2014/9/9
【更に不安が高まった外科受診】
2011年9月15日
2011年8月31日に
直腸ガンを告知され
CT検査:9月5日
腹部エコー:9月7日
胃カメラ:9月7日
大腸バリウム:9月8日
これらの検査結果を
内科医から説明を受けたのが
2011年9月14日(昨日のブログ)。
次の日に外科を受診しました。
重要な内容なので、今回もAさん同伴。
結果詳細は
以前のブログ記事から↓↓↓
http://nmarugt3924.dosugoi.net/e246050.html
説明の中で
最も将来を不安にさせたのが
<後遺症>でした。
*************************
以下、先生の説明内容
<後遺症について>
便通には支障が出る。
直腸は便を溜めておく所、
そこが無くなるので
便が来ても分からなくなる。
だから、便失禁になる。
何回もトイレに
入らなければならなくなる。
この症状は残念ながら出る。
時間とともに克服は出来るが、
最初の頃は悩まれると思う。
漏れてしまうことを我慢できない。
人により症状は様々であるが、
多くの場合はその人なりのやり方で
殆ど克服できている。
*************************
最後の「克服できている」という
その克服具合が想像できませんでした。
もし年をとって老化したら
力も衰えて漏れ続けてしまわないか?
質の高い生活が送れないのではないか?
本当に開腹して切除する
この手術(低位前方切除術)でいいのか?
内視鏡による剥離手術でもいいのでは?
グルグルと迷い出しました。
セカンドオピニオンをした方がいいのか?
<セカンドオピニオンについて>
音声ファイルには、
セカンドオピニオンへの迷いが
記録されています。
正直なところ直前まで迷いました。
迷いに迷った・・・
しかし、今回は選択しませんでした。
一刻も早く処置したかった。
選択すれば、確実に1か月以上は
時間を要してしまいます。
進行を早く止めたかった。
最終的に決定するのは自分自身。
家族や周囲の願いや望み等ありますが、
最終決定するのは自分です。
・時間
・後遺症
・生存率
・転移の可能性
・・・
・・
幾つかの条件や
それぞれの判断基準があります。
開腹手術か、内視鏡手術か、
判断するギリギリの大きさでした。
迷いはしましたが
最終的には開腹手術を選択しました。
ガンの正確な進行具合が不明な中で
決定する難しさを実感しました。
<不安のポイント>
後遺症に関して、
便失禁が必ず発生する点が
最大の不安要素になりました。
<手術の日程>
入院:9月28日
手術:9月30日
盗み聞き?クリック↓↓↓
「外科受診の音声ファイル」
今現在の生活の質を考えれば
転移や再発を心配することも無く
開腹手術をして良かったと思っています。
手術はあっという間でしたが、
術後が厳しかった・・・
いつもありがとう

シャワートイレは必需品。。。(笑)
【更に不安が高まった外科受診】
2011年9月15日
2011年8月31日に
直腸ガンを告知され
CT検査:9月5日
腹部エコー:9月7日
胃カメラ:9月7日
大腸バリウム:9月8日
これらの検査結果を
内科医から説明を受けたのが
2011年9月14日(昨日のブログ)。
次の日に外科を受診しました。
重要な内容なので、今回もAさん同伴。
結果詳細は
以前のブログ記事から↓↓↓
http://nmarugt3924.dosugoi.net/e246050.html
説明の中で
最も将来を不安にさせたのが
<後遺症>でした。
*************************
以下、先生の説明内容
<後遺症について>
便通には支障が出る。
直腸は便を溜めておく所、
そこが無くなるので
便が来ても分からなくなる。
だから、便失禁になる。
何回もトイレに
入らなければならなくなる。
この症状は残念ながら出る。
時間とともに克服は出来るが、
最初の頃は悩まれると思う。
漏れてしまうことを我慢できない。
人により症状は様々であるが、
多くの場合はその人なりのやり方で
殆ど克服できている。
*************************
最後の「克服できている」という
その克服具合が想像できませんでした。
もし年をとって老化したら
力も衰えて漏れ続けてしまわないか?
質の高い生活が送れないのではないか?
本当に開腹して切除する
この手術(低位前方切除術)でいいのか?
内視鏡による剥離手術でもいいのでは?
グルグルと迷い出しました。
セカンドオピニオンをした方がいいのか?
<セカンドオピニオンについて>
音声ファイルには、
セカンドオピニオンへの迷いが
記録されています。
正直なところ直前まで迷いました。
迷いに迷った・・・
しかし、今回は選択しませんでした。
一刻も早く処置したかった。
選択すれば、確実に1か月以上は
時間を要してしまいます。
進行を早く止めたかった。
最終的に決定するのは自分自身。
家族や周囲の願いや望み等ありますが、
最終決定するのは自分です。
・時間
・後遺症
・生存率
・転移の可能性
・・・
・・
幾つかの条件や
それぞれの判断基準があります。
開腹手術か、内視鏡手術か、
判断するギリギリの大きさでした。
迷いはしましたが
最終的には開腹手術を選択しました。
ガンの正確な進行具合が不明な中で
決定する難しさを実感しました。
<不安のポイント>
後遺症に関して、
便失禁が必ず発生する点が
最大の不安要素になりました。
<手術の日程>
入院:9月28日
手術:9月30日
盗み聞き?クリック↓↓↓
「外科受診の音声ファイル」
今現在の生活の質を考えれば
転移や再発を心配することも無く
開腹手術をして良かったと思っています。
手術はあっという間でしたが、
術後が厳しかった・・・
いつもありがとう

シャワートイレは必需品。。。(笑)
2014年09月08日
【不安を抱えて聞いた精密検査結果】 2011年9月14日内科受診
2014/9/8
【不安を抱えて聞いた精密検査結果】
2011年9月14日内科受診
2011年8月31日に直腸ガンを告知され
その場で更に検査予約を入れられました。
理由は他にもガンの可能性が
無いとはいえないため。。。
CT検査:9月5日
腹部エコー:9月7日
胃カメラ:9月7日
大腸バリウム:9月8日
これらの検査結果を
内科医から説明を受けたのが
2011年9月14日でした。
重要な内容なので、
今回もAさん同伴でした。
結果詳細は
以前のブログ記事から↓↓↓
http://nmarugt3924.dosugoi.net/e245574.html
検査が終わって一番の心配事は
他にガンは無いか? ということでした。
これに関しては発見されず
一安心でした。
次の心配事は、
直腸のガンが
どれくらいの進行度合いなのか。
どれだけの手術になるのか。
抗癌治療は必要か?
後遺症はどの程度?
・・・
盗み聞き?クリック↓↓↓
「内科受診の音声ファイル」
不安感と緊張は
次の日(2011年9月15日)の
外科受診で更に高まってしまいました。
いつもありがとう

感謝のワークノート!
【不安を抱えて聞いた精密検査結果】
2011年9月14日内科受診
2011年8月31日に直腸ガンを告知され
その場で更に検査予約を入れられました。
理由は他にもガンの可能性が
無いとはいえないため。。。
CT検査:9月5日
腹部エコー:9月7日
胃カメラ:9月7日
大腸バリウム:9月8日
これらの検査結果を
内科医から説明を受けたのが
2011年9月14日でした。
重要な内容なので、
今回もAさん同伴でした。
結果詳細は
以前のブログ記事から↓↓↓
http://nmarugt3924.dosugoi.net/e245574.html
検査が終わって一番の心配事は
他にガンは無いか? ということでした。
これに関しては発見されず
一安心でした。
次の心配事は、
直腸のガンが
どれくらいの進行度合いなのか。
どれだけの手術になるのか。
抗癌治療は必要か?
後遺症はどの程度?
・・・
盗み聞き?クリック↓↓↓
「内科受診の音声ファイル」
不安感と緊張は
次の日(2011年9月15日)の
外科受診で更に高まってしまいました。
いつもありがとう
感謝のワークノート!
2014年09月07日
【不安感との闘い】 2011年9月
2014/9/7
【不安感との闘い】 2011年9月
昨日のブログでは
ガンの発見を前後して
急激な交友関係の拡大を書きました。
これは単に
不安を紛らわすためだったのかも。
どのくらいの進行具合なのか?
転移はしていないのか?
後遺症は?
余命は・・・
悪い方に考え出したらキリが無い。
余命を考え出したら時間が無い。
何が出来る? 何がしたい?
そんな風に焦る自分を
冷静に客観視する自分もいました。
そんな自分の状況や体験や感じたことが
誰かの役に立つかもしれないと思い
このブログをはじめました。
2011年の記事は、
病気に関するコト一色です。
手術を受けた2011年9月30日までは
様々な不安感が
いろいろな行動となって現れました。
スピリチュアルな
カウンセリングを受けました。
何かにすがりたい気持ちが
そうさせました。
facebookで繋がった方に
次々と会いに行きました。
セミナーに参加しました。
更に交友を広げました。
しかし、
不安感は埋まりませんでした。
不安感を埋めてくれたのは、
実家に帰ったときの
父のひと言でした。
父は52歳のときに腎臓ガンを患い、
大手術を受けています。
自分の通ってきた経験から、
私の精神状態を大変心配してくれました。
父は、
「手術をしなければ確実に死が訪れる。
手術は怖かったよ。
悩みながら車を運転しているときに、
こめかみの下がカーッと熱くなって、
大泣きをしたんだ。
そしたら、
こんな病気なんかに負けるものか!
絶対に勝って生きてやる!!
そういう言う気持ちに切り替わったよ。
お前も泣けばスッキリするよ」
気持ちがすぅ~っとして
さぁ~っと軽くなりました。
その日、実家でいただいた栗ご飯の
美味しかったこと。
今でも忘れることができません。

いつもありがとう
【不安感との闘い】 2011年9月
昨日のブログでは
ガンの発見を前後して
急激な交友関係の拡大を書きました。
これは単に
不安を紛らわすためだったのかも。
どのくらいの進行具合なのか?
転移はしていないのか?
後遺症は?
余命は・・・
悪い方に考え出したらキリが無い。
余命を考え出したら時間が無い。
何が出来る? 何がしたい?
そんな風に焦る自分を
冷静に客観視する自分もいました。
そんな自分の状況や体験や感じたことが
誰かの役に立つかもしれないと思い
このブログをはじめました。
2011年の記事は、
病気に関するコト一色です。
手術を受けた2011年9月30日までは
様々な不安感が
いろいろな行動となって現れました。
スピリチュアルな
カウンセリングを受けました。
何かにすがりたい気持ちが
そうさせました。
facebookで繋がった方に
次々と会いに行きました。
セミナーに参加しました。
更に交友を広げました。
しかし、
不安感は埋まりませんでした。
不安感を埋めてくれたのは、
実家に帰ったときの
父のひと言でした。
父は52歳のときに腎臓ガンを患い、
大手術を受けています。
自分の通ってきた経験から、
私の精神状態を大変心配してくれました。
父は、
「手術をしなければ確実に死が訪れる。
手術は怖かったよ。
悩みながら車を運転しているときに、
こめかみの下がカーッと熱くなって、
大泣きをしたんだ。
そしたら、
こんな病気なんかに負けるものか!
絶対に勝って生きてやる!!
そういう言う気持ちに切り替わったよ。
お前も泣けばスッキリするよ」
気持ちがすぅ~っとして
さぁ~っと軽くなりました。
その日、実家でいただいた栗ご飯の
美味しかったこと。
今でも忘れることができません。
いつもありがとう
2014年09月06日
【自分に起こった変化】 2011年夏から
2014/9/6
【自分に起こった変化】 2011年夏から
2011年8月31日に告げられた「ガン」
心の準備は出来ていたとはいえ、
やはり打撃でした。
私以上にAさんは
目の前が真っ暗になったようです。
このような出来事が起こった
2011年の夏は環境や自分が
変わり始めた時期でした。
このことにもAさんは
大きな戸惑いがあったようです。
どのような変化があったのか?
祖母の危篤で海外出張を取り止めて
期せずして得られた夏休み。
そこに
一通のリクエストが届きました。
それはfacebookの友達リクエスト。
それも見ず知らずの方から。
その方のプロフィールを確認して
承認はしたものの「なぜ?」
このような思いがありました。
それまで私は
facebookに登録していたものの
実際に活用するに至っていませんでした。
このリクエストが
壁を乗り越える切っ掛けになったのです。
私は製品開発業務を生業とする
一サラリーマン。
少ない出張を除けば
建屋の中での業務が殆どで
社外の人との接触は限定的でした。
また、接触する相手は同業や関連者。
異業種の方との交流は皆無でした。
こうなると、あることには特化するが
平たく世間一般が無知となります。
そんなんでいいのか?
そんな疑問は抱いていました。
友達リクエストが
そこに風穴を開けてくれました。
リクエストを承認したことで、
リクエストを申請するハードルが
下がりました。
近隣の方からのイベント招待に
勇気を振り絞って参加し
更に交流が広がりました。
ガンを告知されたことも、
死を身近に考える切っ掛けになり
時間が無い自分に焦りを覚えました。
「知らない人、知らないことを
もっと知っておきたい」
リクエストや告知が切っ掛けとなり
交流が広がっていきました。
男女を問わず知り合いが急増する。
リアルな交流も急拡大する。
急激な変化は
大きな歪を溜め込んでいきました。
いつもありがとう

初めて参加したfacebookイベント
豊橋名物の「ビール電車」(笑)
【自分に起こった変化】 2011年夏から
2011年8月31日に告げられた「ガン」
心の準備は出来ていたとはいえ、
やはり打撃でした。
私以上にAさんは
目の前が真っ暗になったようです。
このような出来事が起こった
2011年の夏は環境や自分が
変わり始めた時期でした。
このことにもAさんは
大きな戸惑いがあったようです。
どのような変化があったのか?
祖母の危篤で海外出張を取り止めて
期せずして得られた夏休み。
そこに
一通のリクエストが届きました。
それはfacebookの友達リクエスト。
それも見ず知らずの方から。
その方のプロフィールを確認して
承認はしたものの「なぜ?」
このような思いがありました。
それまで私は
facebookに登録していたものの
実際に活用するに至っていませんでした。
このリクエストが
壁を乗り越える切っ掛けになったのです。
私は製品開発業務を生業とする
一サラリーマン。
少ない出張を除けば
建屋の中での業務が殆どで
社外の人との接触は限定的でした。
また、接触する相手は同業や関連者。
異業種の方との交流は皆無でした。
こうなると、あることには特化するが
平たく世間一般が無知となります。
そんなんでいいのか?
そんな疑問は抱いていました。
友達リクエストが
そこに風穴を開けてくれました。
リクエストを承認したことで、
リクエストを申請するハードルが
下がりました。
近隣の方からのイベント招待に
勇気を振り絞って参加し
更に交流が広がりました。
ガンを告知されたことも、
死を身近に考える切っ掛けになり
時間が無い自分に焦りを覚えました。
「知らない人、知らないことを
もっと知っておきたい」
リクエストや告知が切っ掛けとなり
交流が広がっていきました。
男女を問わず知り合いが急増する。
リアルな交流も急拡大する。
急激な変化は
大きな歪を溜め込んでいきました。
いつもありがとう
初めて参加したfacebookイベント
豊橋名物の「ビール電車」(笑)
2014年09月05日
【ガンの告知は驚くほどアッサリ】 2011年8月31日
2014/9/5
【ガンの告知は驚くほどアッサリ】 2011年8月31日
2011年8月23日の大腸内視鏡検査で
発見された腫瘍は良性なのか?
2011年8月31日(水)
検査結果をに聞きに向かいました。
重要な説明になるだろうということで
Aさんは休みをとって同席しました。
たまたま母親も検診日が重なったので
同席して、3人で話を聞きました。
私は心の準備が出来ていました。
Aさんは良性を心から願っていました。
結果を聞いた後の心の状態は
正反対だったと思います。
↓↓↓クリック
告知音声(.mp3)23:04
ガンの告知は
お聞きの通りアッサリしていました。
そして、その後の工程を
淡々と決めていきました。
一通りの検査の後は
外科へ移されて手術の準備となる。
この流れは
ほぼオートマチックで設定されました。
ガンになったことに
くよくよしている暇はありませんでした。
如何に改善させる方向へ進むか。
それだけです。
しかし、Aさんは
奈落の底に突き落とされた気分でした。
もしものことがあったら
この先どうしたらいいの・・・
いつもありがとう

「あ、これですね~」 (自分)
「直腸、入って直ぐのあたりかな・・・」 (先生)
【ガンの告知は驚くほどアッサリ】 2011年8月31日
2011年8月23日の大腸内視鏡検査で
発見された腫瘍は良性なのか?
2011年8月31日(水)
検査結果をに聞きに向かいました。
重要な説明になるだろうということで
Aさんは休みをとって同席しました。
たまたま母親も検診日が重なったので
同席して、3人で話を聞きました。
私は心の準備が出来ていました。
Aさんは良性を心から願っていました。
結果を聞いた後の心の状態は
正反対だったと思います。
↓↓↓クリック
告知音声(.mp3)23:04
ガンの告知は
お聞きの通りアッサリしていました。
そして、その後の工程を
淡々と決めていきました。
一通りの検査の後は
外科へ移されて手術の準備となる。
この流れは
ほぼオートマチックで設定されました。
ガンになったことに
くよくよしている暇はありませんでした。
如何に改善させる方向へ進むか。
それだけです。
しかし、Aさんは
奈落の底に突き落とされた気分でした。
もしものことがあったら
この先どうしたらいいの・・・
いつもありがとう
「あ、これですね~」 (自分)
「直腸、入って直ぐのあたりかな・・・」 (先生)
2014年09月04日
【大腸内視鏡検査で現れたモノ】 2011年8月23日
2014/9/4
【大腸内視鏡検査で現れたモノ】 2011年8月23日
2011年8月3日に予約した
大腸内視鏡検査は最速で8月23日。
検査日の前日から
指定食と下剤で腸内を清掃して
当日に備えました。

検査前はドキドキしますが
まだ気楽なものです。
「何か出たらどうしよう~」
まだ心に余裕が有ります。
父が腎臓ガン
母が子宮ガン、大腸ガン、乳ガン
全て手術でほぼ完治していたので
恐怖感は少ない方でした。
「何か出てもなんとかなるな・・・」
根拠の無い自信で検査に臨みました。
通された検査室には
若い女医さんと看護師さん。
不満があるはずが有りません。
テクニックは抜群でした。
痛みもストレスも無く
スルッと進んでいきました。
検査室にはモニターが複数あって
自分の画像を見ながら進みます。
肛門から入ってすぐのところに、
醜いピンク色のブヨブヨとした
出来物が見えました。

「あっ!」
心の中で声が出ました。
カメラはまず大腸の最上流へ行ってから
注意深く観察しながら後退します。
私は入り口近くの出来物のことで
頭が一杯でした。
最後にまたカメラが出来物を写すと
今度は紫の色素を吹きかけて
写真を撮影しだしました。

入り組んだ皺がくっきりと現れて
グロテスクさが浮き彫りにされました。
そしてカメラの先から鉗子が出てきて
出来物をつまんで組織を採取しました。
「これはガンに違いない・・・」
心臓が高鳴りました。
どうか良性であって欲しい。。。
検査を受ける前に
インターネットで知識を仕入れて
この検査に臨んだので
どうしても聞きたいことが有りました。
「出来物は肛門からどのくらいですか」
「6~7センチくらいですね」
女医さんは伏目がちに答えてくれました。
肛門近くにガンができた場合、
人口肛門になる可能性があるからです。
検査結果は1週間後の8月31日。
Aさんには
腫瘍があったが内視鏡では処置できなかった。
8月31日に詳細が分かる。 と伝えました。
その晩はネットでひとしきり調べました。
調べていくうちに不思議と動揺はおさまり、
全てを受け入れる気持ちが
強くなっていったのを記憶しています。
いつもありがとう
【大腸内視鏡検査で現れたモノ】 2011年8月23日
2011年8月3日に予約した
大腸内視鏡検査は最速で8月23日。
検査日の前日から
指定食と下剤で腸内を清掃して
当日に備えました。
検査前はドキドキしますが
まだ気楽なものです。
「何か出たらどうしよう~」
まだ心に余裕が有ります。
父が腎臓ガン
母が子宮ガン、大腸ガン、乳ガン
全て手術でほぼ完治していたので
恐怖感は少ない方でした。
「何か出てもなんとかなるな・・・」
根拠の無い自信で検査に臨みました。
通された検査室には
若い女医さんと看護師さん。
不満があるはずが有りません。
テクニックは抜群でした。
痛みもストレスも無く
スルッと進んでいきました。
検査室にはモニターが複数あって
自分の画像を見ながら進みます。
肛門から入ってすぐのところに、
醜いピンク色のブヨブヨとした
出来物が見えました。
「あっ!」
心の中で声が出ました。
カメラはまず大腸の最上流へ行ってから
注意深く観察しながら後退します。
私は入り口近くの出来物のことで
頭が一杯でした。
最後にまたカメラが出来物を写すと
今度は紫の色素を吹きかけて
写真を撮影しだしました。
入り組んだ皺がくっきりと現れて
グロテスクさが浮き彫りにされました。
そしてカメラの先から鉗子が出てきて
出来物をつまんで組織を採取しました。
「これはガンに違いない・・・」
心臓が高鳴りました。
どうか良性であって欲しい。。。
検査を受ける前に
インターネットで知識を仕入れて
この検査に臨んだので
どうしても聞きたいことが有りました。
「出来物は肛門からどのくらいですか」
「6~7センチくらいですね」
女医さんは伏目がちに答えてくれました。
肛門近くにガンができた場合、
人口肛門になる可能性があるからです。
検査結果は1週間後の8月31日。
Aさんには
腫瘍があったが内視鏡では処置できなかった。
8月31日に詳細が分かる。 と伝えました。
その晩はネットでひとしきり調べました。
調べていくうちに不思議と動揺はおさまり、
全てを受け入れる気持ちが
強くなっていったのを記憶しています。
いつもありがとう
2014年09月03日
【なぜ検査を無視できなかったのか】 2011年8月3日以前
2014/9/3
【なぜ検査を無視できなかったのか】 2011年8月3日以前
3年半前の2011年の春、
会社で受けた健康診断で
要大腸精密検査の通知をいただきました。
それより数年前に受けた
大腸バリウム検査は白だったこともあり、
「きっとまた同じだから、無視しよう」
このように決めていました。
実生活において
特に健康上の問題は無く、
(その頃はそう思っていただけ)
検査へ行く必要は無いと判断したのです。
当時は仕事が忙しく
海外出張も頻繁にしていました。
夏休みも返上で海外出張の予定が入り
全く時間が取れない日々でした。
私の祖母は寝たきりで
病院にお世話になっていたのですが、
海外出張を前にして危篤に陥ったのです。
私は急遽出張を取り止めました。
そして祖母の病院へ向かいました。
今考えても不思議なのですが、
私が出張を取り止めてから、
もう駄目だと思われていた祖母は
奇跡的な回復をしだしたのです。
この結果、
私は予期せず夏休みという時間を
手に入れることができました。
折角いただいたお休みだから
検査を受けてみようか。。。
そして、検査の予約をしたのです。
この出来事が無ければ、
ガンは腸壁を越えて侵攻し、
取り返しのつかない状態になっていたかも。。。
人は目に見えない絆で結ばれて
離れていても守り守られている。
このように思います。
おばあちゃん、ありがとう。

いつもありがとう
【なぜ検査を無視できなかったのか】 2011年8月3日以前
3年半前の2011年の春、
会社で受けた健康診断で
要大腸精密検査の通知をいただきました。
それより数年前に受けた
大腸バリウム検査は白だったこともあり、
「きっとまた同じだから、無視しよう」
このように決めていました。
実生活において
特に健康上の問題は無く、
(その頃はそう思っていただけ)
検査へ行く必要は無いと判断したのです。
当時は仕事が忙しく
海外出張も頻繁にしていました。
夏休みも返上で海外出張の予定が入り
全く時間が取れない日々でした。
私の祖母は寝たきりで
病院にお世話になっていたのですが、
海外出張を前にして危篤に陥ったのです。
私は急遽出張を取り止めました。
そして祖母の病院へ向かいました。
今考えても不思議なのですが、
私が出張を取り止めてから、
もう駄目だと思われていた祖母は
奇跡的な回復をしだしたのです。
この結果、
私は予期せず夏休みという時間を
手に入れることができました。
折角いただいたお休みだから
検査を受けてみようか。。。
そして、検査の予約をしたのです。
この出来事が無ければ、
ガンは腸壁を越えて侵攻し、
取り返しのつかない状態になっていたかも。。。
人は目に見えない絆で結ばれて
離れていても守り守られている。
このように思います。
おばあちゃん、ありがとう。

いつもありがとう
2014年09月02日
【大腸内視鏡検査の予約】 2011年8月3日
2014/9/2
【大腸内視鏡検査の予約】 2011年8月3日
3年前の2011年8月3日
豊橋市民病院へ大腸内視鏡検査の
予約を取りに行きました。
検査日は8月23日
この検査で
直腸にガンが発見されたわけですが、
なぜ検査を予約したのか?
それは
会社で受けた春の健康診断で
要検査の通知をいただいたからでした。
当初は
「無視しよう」
このように思っていました。
ところが、
あることを切っ掛けに
検査を受ける運びになりました。
あること、に関しては、
またお話しするとして、、、
実は大腸の検査は近くの医院で
この検査の数年前に
既に受けていました。
その時の結果は「異状なし」
バリウムをお尻から注入して
検査する方式でした。
バリウムの検査を受けたのも
会社の健康診断で
要検査の通知をもらったからでした。
たぶん、
バリウム検査の時点で
小さなポリープがあったかもしれません。
ただ、
バリウム検査では小さな出来物は
見逃してしまう可能性があります。
今回も近くの医院で
バリウムを入れようと考えていましたが、
なぜかAさんの大反対を浴びました。
渋々、大腸内視鏡検査にしたのです。
そして!
その時に発見されたポリープは
既に肥大化しており、
内視鏡では処置できない大きさでした。
あの時のバリウム検査が
内視鏡検査だったら、、、
などと、
たらればを考えたものです。。。
私がここで言いたいのは、2点。
・要検査の通知を無視しない
・内視鏡で検査できる施設を選択する
特に大腸の検査は内視鏡であれば
ミリ単位のポリープも
見逃すことはありません。
そして、その場で切除できます。
将来のガン化の芽を
確実に摘み取ることができます。
人によっては
内視鏡は苦しいかもしれません。
お尻から入れることに
抵抗があるかもしれません。
しかし、
手術やその後の治療の苦しさに比べれば、
ほんの一瞬の出来事。
あなたの体は
自分だけのものではないのだから。。。
よろしくお願いします。
いつもありがとう

検査する時はお尻に蓋が付いた
紙パンツをはきます。
【大腸内視鏡検査の予約】 2011年8月3日
3年前の2011年8月3日
豊橋市民病院へ大腸内視鏡検査の
予約を取りに行きました。
検査日は8月23日
この検査で
直腸にガンが発見されたわけですが、
なぜ検査を予約したのか?
それは
会社で受けた春の健康診断で
要検査の通知をいただいたからでした。
当初は
「無視しよう」
このように思っていました。
ところが、
あることを切っ掛けに
検査を受ける運びになりました。
あること、に関しては、
またお話しするとして、、、
実は大腸の検査は近くの医院で
この検査の数年前に
既に受けていました。
その時の結果は「異状なし」
バリウムをお尻から注入して
検査する方式でした。
バリウムの検査を受けたのも
会社の健康診断で
要検査の通知をもらったからでした。
たぶん、
バリウム検査の時点で
小さなポリープがあったかもしれません。
ただ、
バリウム検査では小さな出来物は
見逃してしまう可能性があります。
今回も近くの医院で
バリウムを入れようと考えていましたが、
なぜかAさんの大反対を浴びました。
渋々、大腸内視鏡検査にしたのです。
そして!
その時に発見されたポリープは
既に肥大化しており、
内視鏡では処置できない大きさでした。
あの時のバリウム検査が
内視鏡検査だったら、、、
などと、
たらればを考えたものです。。。
私がここで言いたいのは、2点。
・要検査の通知を無視しない
・内視鏡で検査できる施設を選択する
特に大腸の検査は内視鏡であれば
ミリ単位のポリープも
見逃すことはありません。
そして、その場で切除できます。
将来のガン化の芽を
確実に摘み取ることができます。
人によっては
内視鏡は苦しいかもしれません。
お尻から入れることに
抵抗があるかもしれません。
しかし、
手術やその後の治療の苦しさに比べれば、
ほんの一瞬の出来事。
あなたの体は
自分だけのものではないのだから。。。
よろしくお願いします。
いつもありがとう
検査する時はお尻に蓋が付いた
紙パンツをはきます。
2014年09月01日
【3周年】 今月は振り返りの月
2014/9/1
【3周年】 今月は振り返りの月
札幌市内からモエレ沼公園まで
朝ランしたことを書いた
2014/8/27のブログ。
http://nmarugt3924.dosugoi.net/e676874.html
そのブログの中には
書かなかったことがあります。
モエレ沼公園までの約12キロの途中で
体に異変が起きていました。
あのコンビニに入ろうか・・・
いや、もう少し頑張ろう。
次のコンビニに・・・
モエレ沼公園へ着くや否や
一番にしたことが
(トイレ探し)
そうです。
ヤバイ状態だったのです。
でも、冷静に3年前を思えば
よくここまで回復したなと思います。
3年前の9月30日は
「低位前方切除術」をして
直腸ごとガンを切除した日でした。
それから暫くの間は、
頻便に悩まされました。
一日数十回もトイレへ!
直腸という溜め池が無いので
頻繁にトイレに行かねばなりません。
一番困ったのは、
ガスなのか便なのか分からないこと。
ガスだと思って気を緩めると
大惨事になることが多々有りました。
ですから、今でもバッグの中には
もしもの為に下着を忍ばせています。
今ではガスかどうかは
ほぼ分かるようになりました。
(たまに外してしまう・・・)
頻便は遥かに改善されて、
一日数回に減りました。
時間とともにゆっくりではありますが
回復していくものです。
さて、モエレ沼公園では
もじもじしながら案内板を探し
トイレの位置を確かめて小走り状態。。
やっと見つけたトイレに入って、
「Oh my G・・・・・」
モエレ沼公園のトイレには
カミがありませんのでご注意を!
ということで、
今月は3周年記念として
病気に関する振り返りを
出来るだけ書いていきたいと思います。
いつもありがとう

トイレ付近から見たテトラマウント
【3周年】 今月は振り返りの月
札幌市内からモエレ沼公園まで
朝ランしたことを書いた
2014/8/27のブログ。
http://nmarugt3924.dosugoi.net/e676874.html
そのブログの中には
書かなかったことがあります。
モエレ沼公園までの約12キロの途中で
体に異変が起きていました。
あのコンビニに入ろうか・・・
いや、もう少し頑張ろう。
次のコンビニに・・・
モエレ沼公園へ着くや否や
一番にしたことが
(トイレ探し)
そうです。
ヤバイ状態だったのです。
でも、冷静に3年前を思えば
よくここまで回復したなと思います。
3年前の9月30日は
「低位前方切除術」をして
直腸ごとガンを切除した日でした。
それから暫くの間は、
頻便に悩まされました。
一日数十回もトイレへ!
直腸という溜め池が無いので
頻繁にトイレに行かねばなりません。
一番困ったのは、
ガスなのか便なのか分からないこと。
ガスだと思って気を緩めると
大惨事になることが多々有りました。
ですから、今でもバッグの中には
もしもの為に下着を忍ばせています。
今ではガスかどうかは
ほぼ分かるようになりました。
(たまに外してしまう・・・)
頻便は遥かに改善されて、
一日数回に減りました。
時間とともにゆっくりではありますが
回復していくものです。
さて、モエレ沼公園では
もじもじしながら案内板を探し
トイレの位置を確かめて小走り状態。。
やっと見つけたトイレに入って、
「Oh my G・・・・・」
モエレ沼公園のトイレには
カミがありませんのでご注意を!
ということで、
今月は3周年記念として
病気に関する振り返りを
出来るだけ書いていきたいと思います。
いつもありがとう
トイレ付近から見たテトラマウント