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のき山放送局で紹介されました!





丸地典利です。 
47歳の夏に直腸にガンが見つかり切除手術を経験しました。
この経験を書き留めようと始めたのがこのブログです。 ガンが発見されたことは、自分にとってそれはそれは大きな衝撃でした。自分の中の何かが変わっていく大きな機会になったことは確かです。




 2016年8月29日
このブログを開設して5年が経過しました。 
直腸ガンの手術からも5年が経過し、病院からは成績優秀で卒業証書をいただきました。 何度かイレウスを発症していますが、後遺症は日常生活に殆ど影響しなくなりました。 体のために術後1年目から始めたランニングも、すっかり習慣化して、フルマラソンのタイムを追求するようになっています。
ブログの内容も日常の出来事や未来への活動が中心になってきました。





ガンや手術に関する記事をお探しの方は、2011年9月の周辺をご覧ください。


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2012年09月19日

心の駆け引き(2011年)

2012年9月19日 心の駆け引き(2011年)


入院中に多少の躓きは有りましたが、順調に回復して
2011年10月15日、退院を迎えることができました。

18日間の入院生活でした。


「日が薬」

看護師さんがいつも口にしていた言葉です。

一日一日が薬のように体を回復させることで、
事実、人間の体の回復力に驚かされました。

回復には歩くことが一番! と、
手術後1日目から散歩を欠かさず続けてきたことが良かったのだと思います。



2週間半ぶりとはいえ、自宅が懐かしく感じましたが、
手術前のようには体は動かず、すぐに疲れが出てしまいます。

入院中は毎日2回の散歩をしてはいましたが、
想像以上に体力は衰えていました。



自分の中では、大事を取って11月末まで自宅療養を考えていました。
かなりゆったりとした療養計画です。

仕事上、能力が高い部下に恵まれ、
任せられる状況の中で、しっかり戻していこうと考えていました。



家に戻ってからも朝夕二回の散歩は欠かさず。
ラブ(次女)と一緒に一回2キロ以上は歩いていました。

ただ、体調は寄せては返す波の様に安定しませんでした。
張り切りすぎて微熱が出たり、なかなか昼寝から抜け出せなかったり。


ぐーたらしているように見える私を妻は心配したそうです。
このまま社会復帰が出来ないのでは・・・。

もしや心が病んでいるのではないか?

本当に復帰しようとしているのだろうか?

このままでは家族の生活が保障されない。


このように、最悪の事態を考えたのだと思います。


私は体調をコントロールできず、
ゆっくり様子を見ようとしていました。

傷病時に使えるストックされた会社の有給が2ヶ月分もあったからです。



そんな私の状態を傍からみれば、
病気を笠にサボっているように見えたのかもしれません。

「このままでは彼も家族もダメになる・・」
早く社会復帰するように促す妻と、

「そうは言っても微熱が続いて本調子じゃないんだ・・」
思うように体が順応しない私との間に、心の駆け引きが続きました。


会社員故の権利を行使できる甘えが私にあったのかもしれません。
しかし、見えないこの心の駆け引きは、お互いを疲弊させ、

一旦決めた復帰日を1週間伸ばさなければならない体調に
逆戻りさせてしまいました。


「日が薬」


社会復帰は11月16日(水)
その前日にはお互いランチでお祝いできる状態に心も体も回復しました。
「やっと社会復帰」



後から振り返ると、
お互いこの時期が一番精神的に苦しかったようです。

それぞれの思いをしっかり話し合っていれば、
もう少し早い復帰が出来たのかもしれませんね。
  
タグ :日が薬日薬