すべての人を輝く宝に!自分軸を見出して【人生第三章】を意図して生きる › 2014年06月26日
2014年06月26日
【許すということ】 逆境と試練の中で
2014.6.26
【許すということ】 逆境と試練の中で
脱法ハーブや覚せい剤に絡む
事件や事故を聞かない日が無くなっている。
つい先日も、
脱法ハーブを吸引した後に
車で何人もはねて死傷させるという
痛ましい事件があった。
死亡した女性は20歳。
娘のCさんと同じ年頃だ。。。
Aさんとこの件について
話をしていた。
「俺は気が狂うと思うよ・・・」
このやり場のない怒りや悲しみを
どこにぶつければいいのだろうか?
ただ、どうしたって
死んでしまった人は帰ってこない。。。
「致知」 7月号に
のらねこ学かん代表 塩見志満子さんの
インタビュー記事があった。
★★
「降りかかる逆境と試練が
私の人生の花を咲かせた」
白血病で長男が
小学2年生で亡くなりましたので、
4人兄弟姉妹の末っ子の二男が
3年生になった時、私たちは
「ああこの子は大丈夫じゃ。
お兄ちゃんのように死んだりはしない」
と喜んでいたんです。
ところが、
その二男もその年の夏にプールの時間に
沈んで亡くなってしまった。
長男が亡くなって8年後の同じ7月でした。
――プールの事故で突然……。
近くの高校に勤めていた私のもとに
「はよう来てください」と連絡があって、
タクシーで駆けつけたら
もう亡くなっていました。
子供たちが集まってきて
「ごめんよ、おばちゃん、ごめんよ」と。
「どうしたんや」と聞いたら
10分の休み時間に誰かに背中を押されて
コンクリートに頭をぶつけて、
沈んでしまったと話してくれました。
母親は馬鹿ですね。
「押したのは誰だ。犯人を見つけるまでは、
学校も友達も絶対に許さんぞ」
という怒りが込み上げてくるんです。
新聞社が来て、
テレビ局が来て大騒ぎになった時、
同じく高校の教師だった主人が
大泣きしながら駆けつけてきました。
そして、
私を裏の倉庫に連れていって、
こう話したんです。
「これは辛く悲しいことや。
だけど見方を変えてみろ。
犯人を見つけたら、
その子の両親はこれから、
過ちとはいえ
自分の子は友達を殺してしまった、
という罪を背負って生きてかないかん。
わしらは死んだ子を
いつかは忘れることがあるけん、
わしら2人が我慢しようや。
うちの子が心臓麻痺で死んだことにして、
校医の先生に心臓麻痺で死んだという
診断書さえ書いてもろうたら、
学校も友達も許してやれるやないか。
そうしようや。そうしようや」
私はビックリしてしもうて、
この人は何を言うんやろかと。
だけど、
主人が何度も強くそう言うものだから、
仕方がないと思いました。
それで許したんです。友達も学校も……。
こんな時、男性は強いと思いましたね。
でも、いま考えたら
お父さんの言うとおりでした。
争うてお金をもろうたり、
裁判して勝ってそれが何になる……。
許してあげてよかったなぁと思うのは、
命日の7月2日に墓前に花がない年が
1年もないんです。
30年も前の話なのに、毎年友達が
花を手向けてタワシで墓を磨いてくれている。
もし、私があの時学校を訴えていたら、
お金はもらえても
こんな優しい人を育てることはできなかった。
そういう人が生活する町にはできなかった。
心からそう思います。
でも、この苦しみは抜け出そうと思っても
なかなか抜け出せるものではありませんでした。
(この後も、もっともっと、
彼女には壮絶な試練が続く・・・)
* * *
脱法ハーブの事件は
上記と全く状況は違います。
が、
誰かの何かがきっかけとなって
大切な家族が亡くなってしまったとき
自分ならどうなのか?
あなたならどうします??
いつもありがとう

【許すということ】 逆境と試練の中で
脱法ハーブや覚せい剤に絡む
事件や事故を聞かない日が無くなっている。
つい先日も、
脱法ハーブを吸引した後に
車で何人もはねて死傷させるという
痛ましい事件があった。
死亡した女性は20歳。
娘のCさんと同じ年頃だ。。。
Aさんとこの件について
話をしていた。
「俺は気が狂うと思うよ・・・」
このやり場のない怒りや悲しみを
どこにぶつければいいのだろうか?
ただ、どうしたって
死んでしまった人は帰ってこない。。。
「致知」 7月号に
のらねこ学かん代表 塩見志満子さんの
インタビュー記事があった。
★★
「降りかかる逆境と試練が
私の人生の花を咲かせた」
白血病で長男が
小学2年生で亡くなりましたので、
4人兄弟姉妹の末っ子の二男が
3年生になった時、私たちは
「ああこの子は大丈夫じゃ。
お兄ちゃんのように死んだりはしない」
と喜んでいたんです。
ところが、
その二男もその年の夏にプールの時間に
沈んで亡くなってしまった。
長男が亡くなって8年後の同じ7月でした。
――プールの事故で突然……。
近くの高校に勤めていた私のもとに
「はよう来てください」と連絡があって、
タクシーで駆けつけたら
もう亡くなっていました。
子供たちが集まってきて
「ごめんよ、おばちゃん、ごめんよ」と。
「どうしたんや」と聞いたら
10分の休み時間に誰かに背中を押されて
コンクリートに頭をぶつけて、
沈んでしまったと話してくれました。
母親は馬鹿ですね。
「押したのは誰だ。犯人を見つけるまでは、
学校も友達も絶対に許さんぞ」
という怒りが込み上げてくるんです。
新聞社が来て、
テレビ局が来て大騒ぎになった時、
同じく高校の教師だった主人が
大泣きしながら駆けつけてきました。
そして、
私を裏の倉庫に連れていって、
こう話したんです。
「これは辛く悲しいことや。
だけど見方を変えてみろ。
犯人を見つけたら、
その子の両親はこれから、
過ちとはいえ
自分の子は友達を殺してしまった、
という罪を背負って生きてかないかん。
わしらは死んだ子を
いつかは忘れることがあるけん、
わしら2人が我慢しようや。
うちの子が心臓麻痺で死んだことにして、
校医の先生に心臓麻痺で死んだという
診断書さえ書いてもろうたら、
学校も友達も許してやれるやないか。
そうしようや。そうしようや」
私はビックリしてしもうて、
この人は何を言うんやろかと。
だけど、
主人が何度も強くそう言うものだから、
仕方がないと思いました。
それで許したんです。友達も学校も……。
こんな時、男性は強いと思いましたね。
でも、いま考えたら
お父さんの言うとおりでした。
争うてお金をもろうたり、
裁判して勝ってそれが何になる……。
許してあげてよかったなぁと思うのは、
命日の7月2日に墓前に花がない年が
1年もないんです。
30年も前の話なのに、毎年友達が
花を手向けてタワシで墓を磨いてくれている。
もし、私があの時学校を訴えていたら、
お金はもらえても
こんな優しい人を育てることはできなかった。
そういう人が生活する町にはできなかった。
心からそう思います。
でも、この苦しみは抜け出そうと思っても
なかなか抜け出せるものではありませんでした。
(この後も、もっともっと、
彼女には壮絶な試練が続く・・・)
* * *
脱法ハーブの事件は
上記と全く状況は違います。
が、
誰かの何かがきっかけとなって
大切な家族が亡くなってしまったとき
自分ならどうなのか?
あなたならどうします??
いつもありがとう