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のき山放送局で紹介されました!





丸地典利です。 
47歳の夏に直腸にガンが見つかり切除手術を経験しました。
この経験を書き留めようと始めたのがこのブログです。 ガンが発見されたことは、自分にとってそれはそれは大きな衝撃でした。自分の中の何かが変わっていく大きな機会になったことは確かです。




 2016年8月29日
このブログを開設して5年が経過しました。 
直腸ガンの手術からも5年が経過し、病院からは成績優秀で卒業証書をいただきました。 何度かイレウスを発症していますが、後遺症は日常生活に殆ど影響しなくなりました。 体のために術後1年目から始めたランニングも、すっかり習慣化して、フルマラソンのタイムを追求するようになっています。
ブログの内容も日常の出来事や未来への活動が中心になってきました。





ガンや手術に関する記事をお探しの方は、2011年9月の周辺をご覧ください。


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2014年03月10日

【画狂老人卍=北斎】 死ぬまで自己変革

2014.3.10
 【画狂老人卍=北斎】 死ぬまで自己変革


一昨日の夕刊に
葛飾北斎展の広告が
あの浪の画とともに載っていて、

本物の浮絵が見られるチャンス!






昨日は一人ふらっと
ボストン美術館へ出かけました。





至近距離で鑑賞する作品は
どれも素晴らしく、
一点一点じっくりと。

有名な富嶽三十六景の
神奈川沖浪裏、凱風快晴(赤富士)

実物を鑑賞出来ただけでも
出かけた価値がありましたが、

一番びっくりしたのが
北斎の画号(名前)の多さでした。

実に30回も改号してきたことを知り
なぜに? との思いでした。

使用した号は
「春朗」「群馬亭」「北斎」「宗理」
「可侯」「辰斎」「辰政」「百琳」・・・・

最晩年の画号が「画狂老人卍」

年代や画号によって
作風や技法が確かに変わっていて、
様々な北斎がそこに居ました。


西洋の絵画に
強く影響を受けていた時期は

ひらがなを横書きにして
アルファベットの筆記体の様に見せたり。。


号を変えた意図は、
常に自己変革を試みて

世にその真価を問うためだったと
言われています。


90歳で没するまで、
その創作意欲は衰えなかった北斎。

常に前を見据え
より良く変わっていこうとした意思が
作品と画号に表れていたと思います。







いつもありがとう