すべての人を輝く宝に!自分軸を見出して【人生第三章】を意図して生きる › 2012年10月01日
2012年10月01日
「死にざま」と「生きざま」
2012年10月1日 「死にざま」と「生きざま」
昨日のブログにfacebookの友だちからコメントをいただきました。
もっと「死にざま」について考えた方がいいのでしょうね。。。と。
この「死にざま」という言葉。
自分のその時をイメージし易い言葉だな、と感じました。
新明解国語辞典(第4版・第5版)によれば、
(現在は第7版)
しにざま【死(に)様】
その人の・死んだ時の様子(死を迎える態度)。
〔この語自体には、善悪の評価は全く無い。
善悪の観点が分かれるとしたら、
その人が大往生したか醜い死に方をしたかの
相違が有るだけである。すなわち、
言語の問題と事実の問題とは全く別の事柄に属する〕
とのこと。
これに対して、「生きざま」という言葉がありますが、
実はこの言葉は新しく出来た言葉で、
「死にざま」との連想から生まれたとされています。
新明解国語辞典(第5版)によれば、
(現在は第7版)
いきざま【生きざま】
その人の、人間性を まざまざと示した生活態度。
〔「ざま」は、「様」の連濁現象によるもので、
元来濁音の「ざまを見ろ」の「ざま」とは意味が違い、
悪い寓意(グウイ)は全く無い〕
この語釈からすれば、
その人の「生きざま」が「死にざま」に現れると考えられます。
ホスピスで約2500名の患者さんを看取ってきた、
柏木哲夫さんの著書、「死にざま」こそ人生 によれば、
「人は生きてきたように死んでいく」そうです。
これは、
不平不満を言いながら生きてきた人は不平不満を言いながら死んでいく。
周りに感謝して生きてきた人は我々スタッフに感謝しながら死んでいく。
これまでの生き方が、末期に濃縮する形で現れるのである。
よき死を死すためには、よき生を生きる必要がある。
もっと「死にざま」について考えた方がいいのでしょうね。
昨日のブログにfacebookの友だちからコメントをいただきました。
もっと「死にざま」について考えた方がいいのでしょうね。。。と。
この「死にざま」という言葉。
自分のその時をイメージし易い言葉だな、と感じました。
新明解国語辞典(第4版・第5版)によれば、
(現在は第7版)
しにざま【死(に)様】
その人の・死んだ時の様子(死を迎える態度)。
〔この語自体には、善悪の評価は全く無い。
善悪の観点が分かれるとしたら、
その人が大往生したか醜い死に方をしたかの
相違が有るだけである。すなわち、
言語の問題と事実の問題とは全く別の事柄に属する〕
とのこと。
これに対して、「生きざま」という言葉がありますが、
実はこの言葉は新しく出来た言葉で、
「死にざま」との連想から生まれたとされています。
新明解国語辞典(第5版)によれば、
(現在は第7版)
いきざま【生きざま】
その人の、人間性を まざまざと示した生活態度。
〔「ざま」は、「様」の連濁現象によるもので、
元来濁音の「ざまを見ろ」の「ざま」とは意味が違い、
悪い寓意(グウイ)は全く無い〕
この語釈からすれば、
その人の「生きざま」が「死にざま」に現れると考えられます。
ホスピスで約2500名の患者さんを看取ってきた、
柏木哲夫さんの著書、「死にざま」こそ人生 によれば、
「人は生きてきたように死んでいく」そうです。
これは、
不平不満を言いながら生きてきた人は不平不満を言いながら死んでいく。
周りに感謝して生きてきた人は我々スタッフに感謝しながら死んでいく。
これまでの生き方が、末期に濃縮する形で現れるのである。
よき死を死すためには、よき生を生きる必要がある。
もっと「死にざま」について考えた方がいいのでしょうね。