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のき山放送局で紹介されました!





丸地典利です。 
47歳の夏に直腸にガンが見つかり切除手術を経験しました。
この経験を書き留めようと始めたのがこのブログです。 ガンが発見されたことは、自分にとってそれはそれは大きな衝撃でした。自分の中の何かが変わっていく大きな機会になったことは確かです。




 2016年8月29日
このブログを開設して5年が経過しました。 
直腸ガンの手術からも5年が経過し、病院からは成績優秀で卒業証書をいただきました。 何度かイレウスを発症していますが、後遺症は日常生活に殆ど影響しなくなりました。 体のために術後1年目から始めたランニングも、すっかり習慣化して、フルマラソンのタイムを追求するようになっています。
ブログの内容も日常の出来事や未来への活動が中心になってきました。





ガンや手術に関する記事をお探しの方は、2011年9月の周辺をご覧ください。


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2014年02月11日

【ギターハンガー】 を作ってみた♪

2014.2.11
 【ギターハンガー】 を作ってみた♪


2013.12.26 のブログで
注文の品が届いたと報告をしました。
http://nmarugt3924.dosugoi.net/e597012.html



あれから1ヶ月半
いろいろ有りすぎました。。。

父が脳梗塞で倒れ、
Aさんは肩の手術・・・

休日はまとまった時間が取れず
延ばしのばしにしていましたが!

やっと本日、
仕上げることができました~♪


「ギターハンガー」








材料はホームセンターで売っている
1×4×72のSPF材(たぶんパイン材?)




1枚 248円を 2枚
特にくっ付けたりせず板のまま使ったので
短時間?で仕上がりました。
(スタートから壁に取り付けるまでに5時間)


板のままでは味気ないので
見栄えを良くする為にトリマーで
ご覧のように縁取り加工をしました。




コレだけで、ぜんぜん雰囲気が変わります。
高級感が出ますね。

短い 1本掛けのハンガーと
長い 3本掛けのハンガーを作成しました。





加工の手順は、

1.サンダーで板の6面を研磨

2.トリマーで4辺を縁取り切削

3.再びサンダーで表面を研磨

いずれもバイスでしっかり固定して
作業する事が基本です。

4.ハンガーの取付位置に下穴を開ける

ハンガーの位置は
実際にギターを置いてバランスを確かめると
600ミリ間隔が良いことが分かりました。




5.板を壁へねじ止めする位置に座グリを入れる

6.座グリの中心にねじの貫通穴を開ける

座グリはねじ頭を板表面より陥没させて
見栄えを良くする為です。

座グリの位置は壁の石膏ボードの裏側にある
管柱や間柱の位置に合わせます。

コンコンと指で壁を叩けば
固く響く場所が柱の位置です。

通常は450ミリが多いと思います。
我が家は450ミリでした。

7.再びサンダーで仕上げの研磨をする

8.5面にステインを塗り、拭き取る

木目を出すために
ステインを塗って暫くしてから
ウエスで拭き取ります。

コレにより木目が浮き出て
見栄えが良くなります。

水性のステイン、
色はオークを使用しました。

家具(オーク)の色と合わせる為です。

裏面には塗装しませんでした。
壁紙への色移りを防ぐためです。

さらに念のため裏面の取付部には
2ミリ厚の合板をスペーサーとして貼り付けて
壁から浮かせました。

9.塗装した板にハンガーを取り付け

10.完成品をねじで壁へ固定する


3本掛けは、、、















(犬のゲージはお愛嬌ということで・・・^^;;)


1本掛けは





(動物2匹はお愛嬌ということで・・・^^;;)








手前味噌で申し訳ないですが、
かなりいい感じに仕上がって

ギターが
インテリアの一部になりました~♪






いつもありがとう。
  


2014年02月10日

【スノボをメジャーに】 8位入賞を果たした角野友基選手

2014.2.10
 【スノボをメジャーに】 8位入賞を果たした角野友基選手


ソチ五輪で日本人のメダル獲得を
今か今かと待っています。。。

スノーボードスロープスタイルで
8位入賞を果たした角野友基選手!

惜しかったですね・・・





彼は凄かった!
技の難易度や完成度の高さ!

フィジカル面の素晴らしさは
言うまでも有りませんが、
私が感心したのは
彼の心。


私は新聞で読んだ彼の言葉に感動しました。


「五輪で勝つのは
 自分のためだけじゃない。

 憧れの存在になれば
 取り組む子供も増える」


彼はいじめられっ子だったと聞きました。

いじめに遭っていた小中学校時代、
多くの仲間との出会いに導いてくれたのが


スノボだったそうです。


そして父の言葉

「お前にはスノーボードがある
 スノボードで周りのみんなを
 認めさせればいい」


彼は自分を救ったスノボを
「メジャー競技にしたい」と強く想い、

その一心で
ここまで駆け上がってきました。



彼が子供たちにスノボを教えている場面を
たまたまテレビで見ました。

優しいお兄ちゃんの眼差しと笑顔で
子供たちに接していました。


表彰台には立てませんでしたが、
彼は次のように締めくくりました。

「あとは見た人に受け取ってもらうだけ。
 何も悔やんでいない。やりきったから」


受け取らせていただきました^^






いつもありがとう。
  
タグ :角野友基


Posted by nmaruGT at 23:59Comments(0)書籍・新聞記事など

2014年02月09日

【かなり回復!】 でも支えるのはまだ大変・・

2014.2.9
 【かなり回復!】 でも支えるのはまだ大変・・


父が脳梗塞で倒れてから
1ヶ月と3日が過ぎました。

当初は、
もう帰ってこないと思っていました。

母とは、
保険、預金、土地、葬儀・・・

今後起こり得る最悪の事態に備えて
早急に対処するために
事前に情報集めをしました。

それにしても、現代医療は凄いですね!
だいぶしっかりとしてきました。

一ヶ月前の絶望感は
完全に希望に変わりました。

ただ、
左半身の麻痺はそのままなので
家に帰るには乗り越えなければならない
高いハードルがあります。


本日は午後からの当番で
病院へ向かいました。

病室に入ると・・・


もぬけの殻!


母と母の二人の妹が
父を車椅子で院内散歩をしていました。
(母は七人兄妹!)

父は車椅子に
暫く座っていられるようになりました。


私は病室のベッドへ父を戻すことに
チャレンジしてみました。


が、


麻痺で力が入らない大人を抱きかかえて
ベッドへ移動させる困難さを
思い知らされました。


ある程度自力で自分を支えられなければ
介護する側は大変だ・・・
このように感じました。



転院も近付いてきました。

もう少し回復して
自分で出来ることが増えれば

当初の計画を
変えたほうがいいかもしれません。

「ひにち薬」とも言います。

もう少し時間をかけて
判断していきたいと思います。





いつもありがとう。



病院からの夕暮れの景色  
タグ :脳梗塞


2014年02月08日

【心が温かぁ~くなった】 誕生日と永松茂久さん

2014.2.8
 【心が温かぁ~くなった】 誕生日と永松茂久さん


2月4日は、何と!
私の50回目の誕生日でした♪

沢山の方々から
祝福のメッセージをいただき
心がじわぁぁぁ~・・・っと温まる
嬉しい一日でした。

車を運転していても、
つい口元が緩んでいました。。(コワ)


50歳という年齢を
何故だかわかりませんが
歓迎していました。


以前 facebookで
年齢に関して投稿した際に

「これからですね☆」

とコメントを頂いたことがありました。


その時、正直ハッとしました。


まだまだこれから!
どれだけでも出来るしやれる!


その時以来、
誕生日が来て50代になることが
嬉しく思えるようになりました。

今、色々な出来事が
身の回りに起きています。

しかし、そのどれもが、
新たな気付きを生んでいるのです。

新しい課題と困難は
新しい気付きと成長に繋がります。


50代はいろんなことが起こる
「お年頃」

楽しまない手は有りません。


なぜか今、根拠無く
うまくいくとしか思えません(笑)



さて、
誕生日にメッセージをくれた方が
永松茂久さんの講演会を主催していました。

昨年も招待されて
チケットを用意していたのですが
妹(従姉妹)の結婚式とバッティング。。

今回は主催者の渡部さんとも
お会いできるチャンスと思い
申し込みました。



http://kokucheese.com/event/index/117963/


人は誰かのために
頑張れる生き物だと思います。

FOR YOU

残された人生を
無駄なく素敵に使うヒントがそこにある!


おススメです!





いつもありがとう。
  


2014年02月07日

【ピンチはチャンス*生きてるだけでラッキー】 2つの魔法

2014.2.7
 【ピンチはチャンス*生きてるだけでラッキー】 2つの魔法


昨日のブログで紹介した言葉
【ピンチはチャンス*生きてるだけでラッキー】

その体験談の投稿を読んだ時
かなり引き込まれました!

本人の承諾が得られましたので
全文を掲載したいと思います。
(少し長いですが・・・)





************************************
なにをやっても
ことごとくうまくいかない日
とことんツイてない日
嫌なことばかり続く日って
誰にでもあると思います。

昨日が私にとってその日でした。

とても悲しいことも沢山ありました。



大切なものを手放しました。
私の中では大切なものを1つ失ってでも
自分にとって大きな決断をしました。
未来と幸せのために決断したことです。


強く自分を持とうと決めても、
正直胸がはりさけそうなくらい
辛かったです。



この時、立ち止まって
身動きができなくなりそうだったけど

「生きてるだけでラッキー」という言葉が
私を支えてくれました。



「生きてるだけでラッキー」というのは

昔私が死にたいくらい辛かった時に

死ぬ勇気があるくらいだったら無敵でしょ。
「生きてるだけでラッキー」だよって
言ってくれて救われた言葉です。




祖父の命日とサロンに一度
行かなければだったので


夜のバスに飛び乗って少しの間、
長野に帰ることにしました。

ちなみに交通手段は高速バスだけ。

結構心身疲れていたせいもあって
深く寝てしまい
降りるはずのバス停を1つ通り越してしまい

1つ先で降りました。



「あ・・・乗り過ごしてしまった」

降りるはずのバス停に車を1台おいてあるので
取りに行かなくてはでした。



こんなときに限ってヤってしまった。。。



そんな時「ピンチはチャンス!」
この言葉で

タクシーがたまたまいたので乗り
1つ前のバス停に戻りました。



タクシーを降り
ようやくバス停にたどり着きました。



もう深夜1時…



山の上の真っ暗なバス停に着いて
駐車場に止めてあった自分の車に
キーをさしました。



するとエンジンがかからないのです。

「うわー。まじか。。。」


とことんツイてません。



外は冷たい風が吹き氷点下のいてつく寒さ。

1ヶ月以上車を止めていたので
バッテリーがあがってしまいました。



何度か試みたけど動かない。

もぉツイてないな・・・
凹みそうになったけど

「ピンチはチャンス」と言い聞かせました。





携帯で長野の親に迎えに来てもらえるか
電話しましたが
通じませんでした。

「うわ。。。どうしよう。。。」

深夜1時に無理もありません。



とりあえずタクシーを呼ぼうとして
調べていたら
電話の充電が切れました。。。




東京の都会みたいに
タクシーは走っているわけでなく
呼ばないとこないのです。



んじゃパソコンで調べて
どうにかと思ったけど
パソコンも充電が切れました。



通信環境さえあれば
タクシーでもJAFFでも呼べるのに
連絡手段をすべて絶たれました。



街灯一つの真っ暗闇で、
山なので周りになにもなく
人の気配すらない。
しかも氷点下のいてつく寒さのなかで



正直、終わったと思いました。

とことんツイてません。。。





都会ならまだいろんな手段はあるのだけど
都会のインフラが当たり前すぎていました。




そこで崩れ落ちてうまくいかない自分に
苛立ちと悔しさで涙が溢れました。



でもその時、
夜空に満天の星空が広がっていて
癒やされました。



「ピンチはチャンス」



ここで座ってたら凍えてしまう。
泣いたって落ち込んだって事実は変わらない。
とりあえず解決しなきゃと思って
立ちあがって荷物を持って
暗い山道を降りました。



小さな光が見えて…



公衆電話でした。



ようやく助かったーって思った矢先


財布にお札はあるのに
小銭がありませんでした。。。。。



「もうとことんツイてないな・・・w」

さらにICカードも
持ってるわけではありません。




こうもうまくいないのが続くと
ピンチな自分に笑えてきました。


そんなときこそ
「ピンチはチャンス」
そう言い聞かせて歩きました。。。




さらに降りていくとなんと
有線電話をみつけました。
タクシー直通でした。



「うわー。よかった。。。」

タクシーに来てもらって実家に帰りました。



ピンチを切り抜けて
タクシーの中で
行動すればなんとかなるなって
実感しました。



自宅につくと、猫がお出迎えしてくれて
母が起きていてくれて
「軽めの食事と温かいお風呂をわかして
用意して待っていてくれました。



電話も折り返したけど通じなくて
心配してくれていました。



お風呂に入りながら、
母親が心配してくれて
食事やお風呂を用意してくれれて
感謝の気持でいっぱいで
涙が溢れだしました。



もし今日
こんなピンチがいっぱいなかったら
もし今日が
うまくいかない日じゃなかったら



母親がしてくれたことに
涙をながして感謝なんて
できなかったと思います。



あたりまえの幸せに気付けただけでも
「今日はよかった」と
いえる1日になりました。



これから先も
ずっと嫌なことやピンチなことや
うまくいかない日って絶対来るけど



ずっと悩んで、ずっと泣いて
たちどまっていたとしても
いつまでもくよくよしていても



「事実」は「事実」
起こってしまったことには変わりません。



それをどう捉えて行動できるかが
大切だと思います。



私は自分を支えてくれる
2つの魔法を持っています。



「ピンチはチャンス」
「生きてるだけでラッキー」



これを持つだけで
大きな壁が立ちはだかっても
乗り越えることができる。

どんな困難も
乗り越えることができるはず。



私に立ち止まっている暇はありません。

沢山やるべきことはいっぱいあるんだから☆
前を向いて笑顔で1つずつ解決して
突き進んでいきたいと思います☆



みなさんもピンチが訪れた時こそ
最大のチャンスだと思うようにしてみてください♪



きっと良いことが訪れる前触れのサインですから
ヽ(*゚∀゚)人(゚∀゚*)ノ



今日も素敵な1日を+:.(◇p∀`*)☆
************************************






いつもありがとう。



ソースはこちら↓↓↓
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2014年02月06日

【心に沁みる言葉】 なるほどね・・

2014.2.6
 【心に沁みる言葉】 なるほどね・・


今朝は最高の冷え込みでした。

体に密着させたスマホの温度計でさえ
マイナス2度!

実際はもっともっと冷えているはず。

空気中の塵や埃は
吹き飛ばされて凍結されて、

夜明け30分前の瞬間は、
見渡す限りクリーンな宇宙空間が
拡がっているようでした。

心も体も清められたような朝ラン!


地球が目覚めた瞬間は
ご覧のようなグラデーションでした。







さて、

本日ふと目にした言葉は、
一見、軽い感じがします。

しかし、
とっても深くて沁みる言葉。


「ピンチはチャンス」


「生きているだけでラッキー」


「死ぬこと以外はかすり傷」




いつもありがとう。  


2014年02月05日

【思いがいろいろある】 家族親族の思惑

2014.2.5
 【思いがいろいろある】 家族親族の思惑


昨日の転院先の後日談・・・
(父は右脳2/3が脳梗塞で壊死し入院中)


転院先において、苦渋の選択を
しなければならないときもある。

介護する人
それを支援する人。

家族、親族、隣人、友人・・


家族と親族の間では
やはり違った思惑があるようです。

一番の当事者は
本人(父)と配偶者(母)

この二人の人生を尊重することが
第一に優先されることです。

その次に子(自分や兄妹)

親族(父の兄妹)は
その後に続くと思います。


しかし、
声の大きな親族もいます。

いろいろな思惑が交錯します。

本人がかわいそう、だけでは
済まされないのが家族の暮らしです。

我々は昨日
大きな決断をしました。

しかし、理解を得られるには
少し時間がかかりそうです。

じっくりと話し合って
理解を深めていきたいと思っています。



今日は車椅子で
20分ほど病院内を散歩できました。





いつもありがとう。


  


2014年02月04日

【それぞれの人生を】 転院先の選択

2014.2.4
 【それぞれの人生を】 転院先の選択


過労と風邪でダウンしていた母が
一週間ぶりに復帰しました。

父が入院する病院で午前中に落ち合い
(父は右脳2/3が脳梗塞で壊死し入院中)

今後の転院先について
支援部署の方と打ち合わせをしました。



転院先には2種類の病院があります。

・リハビリ型病院

・療養型病院


<リハビリ型病院>の最終目標は
家へ帰ること。

<療養型病院>は余生を過ごすこと。



リハビリ型と療養型の
中間の病院は残念ながら無いとのこと。




病院と実家との距離

母への負担

父の病状(心不全と脳梗塞)

父の年齢と快復期待値

父本人の気力

父の人生と母の人生



母には地域を活性化させるために
やりたいことが山ほどあります。

そして、
母の今後もそう長くはありません。

何に、どこに、誰が、
残された時間をどのように使うのか?

選択肢によって
経済的な後ろ盾も必要です。



父は今日、
大きなチャレンジをしました。

車椅子に挑戦したのです。

心臓が弱い父は血圧が上がらず、
車椅子に座ることがやっとでした。

車椅子で病室から出ることが
出来ませんでした。

が、確実に一歩前進しました!






しかし、
心臓への負担を考えると
あまり負荷をかけるわけにもいきません。



じっくりと話し合いました。

そして
我々は今日
大きな決断をしました。






いつもありがとう。
  


2014年02月03日

【オイオイまたかよ・・】 HDD死亡?

2014.2.3
 【オイオイまたかよ・・】 HDD死亡?


3日前、Aさんから、
「二階のパソコン壊れた・・」
と会社へメール!がありました。

「二階のパソコン」とは
我が家のメインPCのことです。



年末年始の超忙しいときに、
HDDが壊れて換装したばかりなのに!

一番安いHDDにしたからなのか?


帰宅してスイッチを入れても
黒い画面の左上にカーソルが点滅して
先に進まない・・・


そこで、
聞き取り調査をしてみました。


Aさんはその日の昼に電源を入れたが
先の症状で進まず・・

Cさんは
午前中にはすでにその症状だったと・・


Cさんが使うと
使った物が壊れるというのが
我が家の通説になっているので、
もう少し掘り下げてみました。

すると、USBメモリを差し込んだ後に
立ち上げていたことが判明しました。

それが一つの原因かもと
Cさんへ告げると、

「それなら学校のPCは
 全部壊れとるはずやん!」

と反撃を喰らい、
まー確かにその通り。。。と。。


PC内のHDDのケーブルを外せば
立ち上がるので、
(※起動ディスクはSSDです)

HHDが逝ってしまったんだな・・
と半ば諦めていました。


念のためということで
昨日BIOSを確認してみましたところ、、

なぜか
HDDが第一起動順位になっている!


(白文字はHDD)


第一起動順位をSSDへ変更すると


(白文字がSSD)



難なく立ち上がりました~♪



しかし何故に
BIOS設定が変わっていたのか???




あっ!!

そういえば、
4日前にBIOS触ったなぁ・・・(汗)

たぶん、その時に、
不用意に起動ディスクの順位を
触って変えちゃったのかな??

それより、数日前に
BIOSを触ったことさえ忘れている!

そして
どうしてBIOSを触ったのか
その理由も思い出せない・・いまだに・・


いくらなんでも
ちょっと、もの忘れが酷いな・・

と、
一人不安になっている自分。。。


父の件もあるしなぁ・・・






いつもありがとう。

  


2014年02月02日

【頭が目覚めていない?】 私はショウゾウ。。

2014.2.2
 【頭が目覚めていない?】 私はショウゾウ。。


本日も父との時間を過ごしています。
(父は右脳2/3が脳梗塞で壊死し入院中)

病院へ朝10時頃に到着すると
朝食後の父は眠っていました。

出来るだけ日中は
目覚めていた方がいいのですが
気持ちよさそうに鼾をかいていましたので
そのまま放置しておりました。


正午の30分前には
昼食が運ばれてきました。

呼びかけて起こしてみると、
目をパッチリ!見開きました。

お腹がすいたか?と尋ねると
すいた!と返答。

しかし、どう見ても
何か様子がおかしい。

目は見開いているのに
焦点は全く定まっていません。


そこで、幾つか質問をしてみました。

「あなたの名前は?」

「○□ △▽」(正解)


「じゃぁ、、目の前の人の名前は?」

「ナツメ ショウゾウ」(誤答)

「それは誰ですか?」

「同級生の・・
 ナツメ ショウゾウ だ・・」


「妻の名前は?」

「○□ ☆♪」(正解)

「子供は何人?」

「三人だと思うよ・・」(正解)

「子供の名前は?」

「○□ △♪」(正解:娘)

「他の子供の名前は?」

「・・・わからん・・」(少し寂しい)


息子と言えばわかってくれると思い


「息子の名前は?」

「・・イナグマ マサト」(誤答)

「それは息子の名前えですか?」

「・・違い・・ます・・」(少し安心)

「息子の名前は?」

「イナグマ マサト」(・・落胆)

「イナグマ マサトは誰ですか?」

「上隣の・・人だよ・・」(そんな人居ない)


「そろそろお昼を食べようかね?」

「ほぃ、ショウゾウ君・・お茶をとって・・」

「ハイ」(笑)


最初はジョークかと思いましたが
どうも違うようです。

その他いろいろ質問してみましたが
全くかみ合いません。

キャッチボール出来るときもあれば、
今回のように全くかみ合わないときも有り、
もうこれは楽しんでやるしかない!
と決めました。


私は本日、
ナツメ ショウゾウ君で奮闘中~♪





いつもありがとう。


  


2014年02月01日

【思い通りにならない】 もどかしさなのか。。

2014.2.1
 【思い通りにならない】 もどかしさなのか。。


昨晩の父は様子がおかしかった。
(父は右脳2/3が脳梗塞で壊死)


病室へ訪問しても言葉を全く発っせず!
ただ、目を見開いたままでした。


「お父さん!」

「・・・・」

「今日はCT撮ったよね?」

「・・・・」

「(??)」


母は風邪で発熱が治まらず
看病に来ることができません。

私も業務の前後にしか
病室を訪れることが出来ません。

日中は一人ベッドです。

夜も泊まりの看病を止めました。
病状が落ち着いてきたことと
こちらがまいってしまうためです。

(寂しくて拗ねてるのか?)

看護師さんには応答するのです!


どうにもモヤッとした気持ちで
帰宅しました。

そして、
いろいろと考えていました。




(そうか!)

思い通りにならない体。

自分の入院・療養の頃を
思い出していました。

周囲の期待に全く応えられない。
思うようにならない身体。

そんな時。特に身内には
わがままになってしまう気持ち。

自分の時とは比べ物にならない
困難な現実の中で、

いろいろ思っていたのでしょう。


しかし、今日の父は違っていました。
言葉のキャッチボールが出来ました。

その人になり代わることはできませんが、
出来る限り気持ちを慮ること。

修行の毎日です。。



食事をスプーンで
口へ運ぶことが出来るようになりました。

介助が必要ですが
座る姿勢を10分とれる様になりました。


車椅子に座れる日が
待ち遠しいです。。。



いつもありがとう。



  
タグ :脳梗塞介護